今日は、クリエイティブなお話をしてみましょう。
「役に立たないけど、ついやっちゃう」にチャンスがある、というお話です。
「役に立たないけど、ついやっちゃう」にチャンスがある
「これ、役に立たないけど、ついやっちゃう」っていうこと、ありますよね。
ただ、「役に立たないから、やめちゃおう」ということも多いんじゃないかと思います。
実はその「役に立たないこと」っていうのには、チャンスが多くあるものなんですよ。
「役に立たないけど、ついやっちゃう」っていうことって、その背後には必ず「面白い」があるんですよ。
で、「面白い」という時点で、実は大きな価値が潜んでいるんですよね。
すると、「役に立たないけど、ついやっちゃう」というものには、すごいチャンスが眠っていると分かるでしょう。
例えばディズニーランドなんて、よくよく考えると、全く役に立たないですよね(笑
米や野菜を作るわけでもなければ、工業製品を作るわけでもないと。
生産性のないものの象徴みたいなものですよね。
でも、ディズニーランドは素敵な場所ですし、人はこぞってそこに行くわけです。
それは、「楽しいから」ですね。
「価値」というのは、昔は「生命維持をすること」だったんですよ。
でも、今は「楽しいことを味わう」も、価値になっているわけです。
マズローの欲求階層説とかありますよね。
あれは、下から順に、生命維持(水や食料)、安全、愛情や属する社会、自尊心、自己実現とあるわけですが。
昔になるほど、水とか食料、安全が大切だったので、「作物を作れ」、「武器を手に取れ」という価値観が重要だったと。
でも、今の日本ではそれら基礎的な部分が満たされてきて、愛情とか楽しさとかを求めるようになってきたわけです。
「役に立たないけど、ついやっちゃう」に、新たな境地がある
だったら、「役に立たないけど、ついやっちゃう」ってことは、今ではチャンスの塊のようなものだと分かります。
というのも、「役に立たない」と思っている時点で、「まだ世の中では、それに価値があるとは認識されていない」ということですよね。
誰も開拓していない、切り開ける境地を示しているわけです。
そして「ついやっちゃう」ということは、そこには必ず「楽しいこと」という価値があることになります。
誰も切り開いていない、だけど価値はある。
だから、それこそがチャンスなんだと。
まさに、「役に立たないけど、ついやっちゃう」ってのは、まだ誰も見つけていない宝が埋まっている、宝の地図になるわけです。
誰もやっていないから、競争率がほぼゼロです。
自分がその楽しさを開発して、楽しさを人に教えてゆけば、それだけで戦わずに第一人者になれます。
そんな風に、するするーっとうまくいく流れですね。
そう考えると、「未開の境地でパイオニアになれる場所」なんて、まだまだ山ほどあると分かるでしょう。
「与える喜び」を適切に把握すると、うまくいく
ここで大切なのが、「与える喜び」を適切に把握することかな、と思います。
よく、「好きなことを仕事にしてはならない。好きなことが好きではなくなるからだ」とか言いますよね。
あれは正確に言うと、「喜びを受け取る側の人が与える側になっても、喜びは得にくい」ということだと思うんですよ。
漫画を読むばかりの人が、漫画家になっても幸せになれるとは限らないわけで。
だから、裏を返して言うと、「それを与えることが好きな人は、それを仕事にすると最高に幸せになる」ということですね。
で、実は人は、喜びを感じたときに、人に与えたくなるんですよ。
でも多くの人が、この「与え方」を間違っているわけです。
例えば漫画でも、面白い漫画があったら「この漫画、面白かったんだよ! これがこうで、このシーンがこうで……」とか、友人に言いたくなりますよね。
その「言いたくなる」が「与える」ことなわけです。
楽しく与えてますよね。
他にも、「この漫画、こういう見方をしたらもっと楽しめた」、「こういう時代背景を知ったら、もっと深く味わえた」とかあるものです。
そういう新たに知ったことも、やっぱり人に教えたくなるんですよ。
すなわち、喜んで与えたくなるものです。
それなのに、なんか勘違いして、「漫画を描く側になろう」とか思っちゃうんですよ。
全く喜びを感じていない与え方を仕事にしよう、みたいな。
それは、すぐに嫌になって当然ですよね。
なぜこうなるかというと、その人は既存の価値観で「漫画を描くことに価値がある」と思い込んでいます。
また、同時に「面白い漫画を紹介することや、人にディープな楽しみ方を教えることには価値がない」と思い込んでいるからですね。
「これが役に立つ」という既存の価値観に縛られているから、間違った方向に行っちゃうわけです。
先に触れた漫画を読む人が好きな人にとっては、「面白い漫画を発掘すること」、「そのディープな楽しみ方を研究すること」が、「役に立たないけど、ついやっちゃうこと」なんですよね。
既存の価値観から抜け出せば、そこに大きなチャンスがあると分かるでしょう。
同じように、「新人賞に価値がある」、「週刊誌連載に価値がある」とかありますよね。
「それが役に立つ」と思うから、思う存分に与えられなくなって、「与え方」を間違ってしまうんですよ。
そうじゃなくて、「役に立たないけど、ついやっちゃうこと」の「与え方」を知って、その与える喜びをマスターしていくことですね。
すると、「与えることが好きな人は、それを仕事にすると最高に幸せになる」になる、ということです。
楽しんで与えて、そして人に喜んでもらって、さらにはお金になると。
そして楽しみつつ、自分の能力を高めてゆけるわけです。
まとめ
だから、「これ、役に立たないけど、ついやっちゃう」ということに着目するといいでしょう。
それが、宝の地図です。
そして、その「自分に喜びをもたらす与え方」に着目してみましょう。
本当に大好きなことは、価値を受け取り喜んだのと同時に、「これ、教えたい(与えたい)」という思いが出てきます。
それを、自分なりの方法で与えてゆけばいいだけす。
でも、そこで「役に立たないしなぁ」と思ってしまうから、それを出せなくなるわけですね。
なので、「役に立たないと思い込んでいる、なのに楽しい」イコール「誰も開拓していない境地だ」と思うといいでしょう。
すると、そこにチャンスが生まれます。
そして、その「喜んでできる与え方」を極めていくわけですね。
逆を言うと、「役に立つであろう与え方」を選んでも、苦しい道が待っている、ということです。
このカラクリに気づけば、どんどんと境地を開拓して、戦わずにオンリーワンかつナンバーワンになれるかなと思います。
ということで、今日は「役に立たない」にチャンスがある、というお話をしてみました。
今日はここまで~。