今週は、作家向け記事強化週間になりそうです。

今日は新海誠監督作品、映画「秒速5センチメートル」のプロットを再構成してみましょう。

 

「秒速5センチメートル」を再構成してみる

この夏に公開されるアニメ映画、「君の名は。」が面白そうですね~。

 

で、この監督作の中でも最もトリッキーな作品として、「秒速5センチメートル」という作品があります。

それで今日は、このプロットを意味が通るように再構成してみましょう。

すると、ラストでなぜハッピーエンドにならないことが適正な終わり方だったのか、理解できるかと思います。

 

(注:なお、以降では新海誠監督のアニメ映画「秒速5センチメートル」のネタバレ&プロット修正事例が含まれます。楽しみを損なう恐れがあるので、新海先生のファンの方であったり、「秒速5センチメートル」の閲覧を楽しみにしている方は、以降は閲覧しないようにお願いします)

 

「秒速5センチメートル」のストーリー内容と、その問題点

「秒速5センチメートル」の内容はというと、主人公の青年「貴樹(たかき)」は、幼い頃に女の子「明里(あかり)」と出会い、互いに恋をして、絆を結びます。

ですが、二人は離ればなれになってしまい、主人公が遠くまで女の子に会いに行ったにもかかわらず、それを機に文通も途絶えてしまいます。

主人公は女の子を失った喪失感から、仕事に打ち込んだり、他の女性と遊んだりするわけなんですが、それでも心の空白感は埋められません。

そして成長して、仕事も失い、女性も失い、何もかもを失った状態で、ふと主人公は街角で、離ればなれになっていたその女性(女の子)とすれ違うことになります。

ですが、最終的にその女性と再会することなく、あきらめて立ち去る……という流れになるんですが。

 

あの映画を見た人なら分かるかと思いますが、「詩的だけど、なんかよく分からない」と感じた人は多いんじゃないかと思います。

詩的表現は素晴らしいんですが、物語としては分かりにくいんですよね。

「結局、何の物語だったの? 失恋物語なの?」みたいな。

その分かりにくさが、物語としての完成度を引き留めてしまったと。

 

よく「理解するんじゃない、感じろ」とか言いますが、プロットをしっかりと構成できれば、「理解して、感じる」こともできるようになります。

むしろ、詩的表現をさらに広げられるような、いい展開にできるんですよ。

それをここから、メインプロットを再構成することで、分かりやすく構築してみましょう。

 

メインプロットのテーマを導き出す

ならいつもの通り、この作品のメインプロットを考えてみましょう。

そしてメインプロット構成に必要な、いつもの耳タコフレーズ!

この作品から、「○○という問題を抱えた主人公が、△△を通して、その問題を解決する」という流れを見いだしてみましょう。

 

すると、この作品での問題(テーマ)は、主人公が「恋人を失ったという喪失感を持つこと」だと分かります。

というのも、冒頭(幼い頃の冒頭)では、主人公はさして問題は抱えていませんよね。

主人公の幸せだった過去が描かれているだけです。

言うなれば、これはサスペンスにおける冒頭で、主人公が家族と幸せを味わう演出と同じです。

サスペンスでは、その幸せを敵に奪われることで、主人公は「復讐してやる」という心理的問題を抱える流れになります。

 

それと同じで、この映画の冒頭25分(第1話「桜花抄」の部分)は、普通の物語なら2~3分で終わらせるような状況説明を、緻密に描いているだけだと分かります。

だから、冒頭25分ぐらい(第2話「コスモナウト」)からが、本編に当たると分かります。

 

すると、この作品は、次のようなテーマを持つと分かります。

「恋人を失った喪失感を持つ主人公が、失った後の日常を通して、その問題を解決する物語」……となります。

 

メインプロットを再構成する

じゃあ、ここで例えばヒーローものの構成を考えてみましょう。

ヒーローものでは、臆病な主人公が、戦いを通して臆病さを克服してゆく流れになります。

これは見方を変えると、「臆病さを喪失してゆく」と表現することもできます。

ならば後は簡単で、そのヒーローものの「臆病さ」を、「恋人の喪失感」に置き換えればいいだけです。

すなわち、「喪失感を喪失してゆく物語」とすることで、ヒーローものの構成法を元に、メインプロットを再構成できるようになります。

 

じゃあ実際に、このメインプロットを意味が通るように再構成してみましょう。

 

  • 第一幕: 「喪失」からの克服を決意するまで(冬から春まで)
    • (日常) 欠点を持つ主人公の日常。
      • 世界観は現代社会で、主人公が喪失感を持っている日常の説明。主人公は高校生の青年で、都会で暮らしているが、ぼんやりと現実味がない世界を生きている。
      • なぜそうなったのか、過去を簡単に説明する。主人公は小学生の頃、誰とも打ち解けられずに孤独を抱えていたこと。だけど同じように孤独を抱えていた女の子(明里)と恋をして、深い絆を結んだこと。
      • しかし、女の子が引っ越すことになる。文通を重ねて、主人公が雪の降る日に電車で会いに行く。少女と絆を再確認したのはいいものの、主人公も女の子も「好きだ」と打ち明けることができずに終わる。
      • そしてその日を境に、なぜか文通が途絶えるようになってしまい、交流が断たれてしまったこと。それによって、主人公は大切(だと思い込んでいる)相手を失い、喪失感を持って生きるようになったことが示される。
    • (冒険への誘い) 主人公が、家庭の事情で種子島(たねがしま)の田舎に引っ越してくる。そこでクラスメイトであり、恋人役ともなる少女(花苗)と出会う。
    • 垢抜けていて、しかもどこか他の人とは違う雰囲気を持つ主人公に対して、少女は恋をしてしまう。そして、主人公に好意的に接する。それによって、主人公は「過去の女の子(明里)を忘れる」という冒険へ誘われる。
    • (拒絶) しかし、主人公は「あの女の子のことを忘れることなど、できない」と、新たな恋を反射的に拒絶する。そして、少女に対して素っ気なく「優しいだけ」の態度を取って拒絶する。
    • (メンター) 主人公が置かれた状況と、目的の解説。主人公はメンターとなる友人から、主人公が抱える問題を指摘される。主人公は「過去に大切にしていた女の子と別れた」という傷を持っていること。それが、新たな恋や輝きを得ることを邪魔していること。だから、「その女の子との思い出を捨てて、あきらめろ」と、物語の目的を示される。
    • 同時に主人公は友人から、「少女と付き合うことで、過去を忘れろ。好きでなくても、気を紛らわせられる」と諭される。
    • だけど、主人公は過去の女の子を忘れられずにいるし、少女に対して好意を持てずにいる。
    • (第一関門) 主人公は、喪失感で大きく虚無を感じる出来事が起こる。引っ越しの荷物整理をしていると、ふいに過去の思い出が出てきて、失ってしまった苦しみを味わう。
    • そして何も手につかずにひどい状態でさまよっている時に、少女から助けられる。少女から温かいご飯を与えられ、暖かい風呂を味わう。
    • そこで主人公は、自分の抱えている喪失感が少し減っていることに気づく。それによって主人公は、半ば自暴自棄になり、「過去を忘れるのも、いいかもしれない」と、好きでもないのに少女と接してゆくことになる。
  • 第二幕前半: 「喪失」を手放してゆく(夏から秋へ)
    • 主人公と少女の、新たな日々が始まる。少女は一方的に主人公に対して(幻想の)好意を向けるが、主人公はその好意をありのままで受け取ることができない。そして、漠然としたほほえみで対応してゆく。
    • 少女が無理矢理主人公を引っ張り出すことで、主人公は気を紛らわせてゆく。見晴らしのいいとっておきの場所に一緒に行ったり、夏祭りに行ったり、花火を見たり、海で過ごしたりする。
    • 主人公は少女に恋心を持たないが、それでも少女を助けたりすることで、恋人ではなく妹のように表面的に大切にする。少女もうすうすそれを分かってはいつつも、「いつかは恋人同士に」と淡い希望を持ち続けている。
    • 二人はそんな関係を、何年も続けることになる。そして二人は東京に就職し移り住むが、やはり関係が変わることはない。
  • 第二幕後半: 「喪失を失いつつある自分」への喪失感(秋から冬へ)
    • (ターニングポイント) 東京に引っ越してきて、荷ほどきをしていると、過去の思い出が出てくる。そこで過去の喪失について思い出すが、自分がその「失った哀しみ」の多くを手放していることに気づく。
    • まるで大切な思い出や関係が自分の中から消えてゆくようで、喪失を失うことに対しての喪失感を得てゆく。
    • 主人公は、あの過去を忘れたくないがために、少しずつ少女を遠ざけ始める。それによって、少女との間に溝ができはじめる。同時に思い出を忘れてゆく自分を罰するかのように、好きでもない仕事に打ち込んだり、酒を飲んだりと、退廃的な生活を始めてゆく。
    • 少女から告白(もしくは未来の話を)されて、その返事をいつまでにする、という約束をしてしまう。
    • (最後の晩餐) ついに、返事をする前夜、すなわち「過去を手放すかどうか」の決断を迫られる前夜が訪れる。主人公は少女と共に、今までの関係でいられる最後の夜を過ごす。一緒に食事をして、一緒のベッドで寝るけれども、最後まで二人は背中合わせに寝ている姿が描かれる。
    • (中盤の盛り上がり) 返事をする日が訪れる。しかし、主人公は仕事で地方へ向かうことになり、雪が積もった影響で電車が遅れることで、約束の場所に時間通りに訪れることができない。大幅に遅れてたどり着いた時には、少女は既にいない。
    • (報酬) そして、少女から「今まで何年も一緒にいたけれども、心は1センチメートルほども近づかなかった」と、別れのメールを受け取る。
    • 同時に、主人公はあの女の子との絆も、孤独を紛らわせるための依存的な関係だったと気づく。女の子からもらった最後の手紙に、「あなたは(私がいなくても)大丈夫」と書かれていたことを思い出し、その意味が分かる。
    • 全てを失った主人公は、仕事を辞め、酒も、退廃的な生活も、何もかもを手放す。
  • 第三幕: 「喪失」との別れ(冬から春へ)
    • (帰路) 主人公は引っ越して、新たな環境で生活を始める。主人公は全てを失ったが、そこでは新たな出会いがあり、人々は主人公を歓迎する。
    • そして、一人の娘と出会う。その娘は今までの女の子や少女とは違い、主人公の前でだけは、喜怒哀楽を素直に表現できるような性格になる。主人公はそんな素直な感情を出す娘に触れることで、今まで得たことがない気持ち(愛情のある心)を娘に対して持ち始める。
    • 主人公は、娘に少しずつ本当の気持ちを明かしてゆけるようになる。同時に、娘からも好かれてゆく。それによって、雪が溶けて春が訪れるかのように、喪失感が消えてゆく。また、今まで感じたことがない満ちあふれた感情(本当の愛情)を味わってゆく。
    • 主人公は、少しずつ過去の思い出を手放してゆく。女の子との思い出の品を、少しずつ捨ててゆく。
    • (クライマックス) 主人公は、ほぼ全ての思い出を手放した。でも、最後に一つだけ、女の子からもらった最後の手紙を捨てきれずにいる。
    • そんな思い出の手紙を捨てるがために歩いている時、偶然にも踏切で、その女の子特有の特徴を持った、成長した姿の女性とすれ違う。主人公ははっとして、踏切を渡りきったところで振り返るが、電車が邪魔をして女性の姿は見えない。主人公は、「自分に気づいたあの女性が、踏切の向こう側で自分を待っているのではないか」と、思い出の感情に支配されてしまう。
    • そして電車が過ぎ去った後、女性はそこにはいない。主人公は優しく微笑んで、「これでよかったんだ」と最後の手紙を捨てて、全ての思い出を手放す。
    • (エンディング) 主人公は冒頭と同じような日常に戻る。だが、一つだけ違っていることがある。それが、完全に春が訪れて、主人公は過去のしがらみから解放された、ということ。
    • 主人公は女の子への未練を捨てて、依存関係を捨てて、娘と共に新たな関係を築き始めるところで、エンディング。

 

……と、こういう流れになります。

 

「喪失」を扱う、という発想

分かりやすいように、思い出の象徴として、「最後の手紙」という要素を加えています。

それを手放すことで、「思い出を手放す」という行動を分かりやすく表現しています。

また、よりハッピーエンドに近づけるために、第3幕で娘という新キャラを登場させています。

新海監督は「秒速5センチメートル」で、こういう流れを表現したかったんじゃないかな、と思います。

 

実はこういう展開は、古い作品では時々目にすることがあるんですよ。

よくあるのが、ラストで「主人公が人混みの交差点で、昔の彼女とすれ違う」という展開です。

主人公が振り返るけれども、昔の彼女は他の男を連れていて、主人公に気づかずに、楽しそうに雑踏へと消えていくわけです。

そして主人公は哀しそうに微笑んで、失恋を受け入れて、その彼女の幸せを願って別の方向に歩き出す……みたいな。

それと同じ構成です。

 

すると、この物語は「喪失を喪失してゆく物語なんだ」と分かるかと思います。

新海監督のアニメ映画「星を追う子ども」は、私は見ていませんが、似たようなテーマじゃないかな、と思ったりもします。

 

まとめ

ちゃんとこういうテーマとメインプロットをしっかりと描いていれば、この作品の流れと意味が分かるかと思います。

映画本編は、この流れを部分的に抜き出して、詩的に表現していると。

だから、しっかりとメインプロットを構築できていれば、詩的な表現を損なうこともなく、その上でもっと分かりやすく、受け入れられるストーリーにできるわけです。

メインプロットをしっかりと構築しても、詩的な表現は失いませんよと。

むしろ、詩的な表現をさらに幅広く表現できるようになる、そういう力がプロットにはあるわけですね。

 

それにしても、「秒速5センチメートル」のメインプロットを改めてみてみると、トリッキーな構成ですよね。

トリッキーというか、珍しいというか。

こういうプロットもあるということで、参考になるかもしれません。

 

この監督さんは、女性的な感性の表現が主体となってるんですよね。

男性性が外に目を向けて、外を変える力だとすると、女性性は内側に目を向けて、内側を変えるスタイルです。

そういう内面描写を重視するのは、昔は「女々しい」と言われていたんですが、今では「新鮮」みたいな感じで迎え入れられてますよね。

これも、女性性と男性性の区別がなくなってきたという、時代の変化かなと思ったりもします。

 

ということで、今日は新海誠監督作品、映画「秒速5センチメートル」のプロットを再構成してみました。

今日はここまで~。

 

(追記)あ、「秒速5センチメートル」には小説版もあるようで。

私はそっちは見ていないので、設定の食い違いとか主旨の違いとかあった場合、スルーしておいてください(笑

これはあくまで「再構成」なので、作者の意図とは異なることがありますからね。

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