今日は、「人生の楽しみ方」についてお話してみましょうか。
まぁ見たら分かるとは思いますが、私は結構いろんなことを楽しんでいるんですよ。
制作も面白いですし、サイト作りもシナリオ理論作りも面白いんですよね。
で、最近は料理にはまってますし、散歩もずっと続けていたり、基本、楽しいことばかりやってる感じで。
先日に触れた、「カレー部」とか、「250円ピザトッピング部」とかも、はまれば面白そうでしょ。
でも、人によっては「自分も、何かはまることをやりたい!」と思っていても、いざやろうとすると「だるい」と感じたり、「めんどくさい」と感じることって多いと思うんですよ。
そして、楽しむことができずに、何もできないと。
結果として、「じっくり楽しむ」というのではなくて、興奮を与えてくれる一過性の「刺激」に走ってしまうわけですね。
なら、なぜ楽しめないか、ということですね。
じっくりはまることとは、「手間のかかること」
ちなみに、「じっくりはまること」というのは、基本的に「手間がかかること」です。
だってそうでしょ。町にあるカレーのお店を制覇しようとか、ピザのトッピングをしようとか、手間でしかないですよね。
私の部屋にはちょっと立派な観葉植物があって、私は観葉植物を楽しんでいるんですが、これこそ手間なんですよ。
毎朝水をやって、水受けに落ちた水を捨てて、時々肥料をやらなきゃいけなかったり。
他にも料理では、今日とか私は鰹のたたきを買ってきて、好きに切って、タマネギをさっと湯に通して、刻みネギを散らして、それでタレも自分で作ったりしたわけです。
そして、それを梅酒と一緒に味わう……とかしたんですよ。
もうこれとか、最高に美味しくて、ほくほく気分だったわけですが(笑
でも、考えようによっては、こんな手間なことはないですよね。
料亭に行って、注文した方が楽で。
だけど、「自分で作る」という「手間をかけること」が、面白いわけです。
多くの人が持っている「趣味」って、そういう「手間をかけること」ですよね。
車が好きな人は、アホほど車に手間をかけて。
カメラが好きな人は、もうカメラに手間をかけてこだわっているわけです。
それを、ニタニタしながら、幸せそうにやっているわけです。
「手間」を「めんどくさい」と感じてしまう理由
でも、「だるい」とか、「めんどくさい」と感じてしまうのはなぜか。
それは、「やらなきゃいけないこと」が残っているからなんですよ。
例えば、「部屋の掃除しなきゃいけないなぁ」とか「歯医者に行かなきゃいけないなぁ」とかやらなきゃいけないことがいっぱいあったら、そっちに意識が行って、趣味とかに手をつけられるものではないですよね。
やらなきゃいけないことが残っているから、じっくり楽しむことができないわけです。
「やらなきゃいけないこと」を済ませれば、ワクワクがよみがえる
なら、後は簡単ですよね。
「やらなきゃいけないこと」を処理すればいいんですから。
だったら、いわゆる「夏休みの宿題を全て終わらして、夏休みが始まる」ような、ワクワクの状態が始まるわけです。
でも、ただ単純に「やらなきゃいけないことを済ます」ことは難しいんですよ。
というのも、「勉強しなきゃ」とか「稼がなきゃ」とかいうことには、終わりがないですよね。
他にも「親の期待に応えなきゃ」、「周囲の期待に応えなきゃ」とかもあるかもしれません。
実は、そういう「やらなきゃいけないこと」が、私たちの「人生の楽しみ」を奪っているんですよ。
幼い頃の、ワクワク感性を思い出す
私たちが小さい頃、何をやっても面白かったでしょ。
私はプラモデルとか大好きで、「大人になったらプラモデルを買いまくって、作ってやるんだ!」とか「ゲームを買いまくって、やりまくるんだ!」とか思ってたんですよ。
幼ければ幼いほど、面白いことなんていくらでも見つけられたでしょ。
そして、「大人になったら、それらが自由にできる!」とか思うと、最高にワクワクしてましたよね。
それぐらい「やりたいこと」がいっぱいあったはずなのに、小学、中学、高校……となるにつれて、「面白いことないかなぁ」と、その「やりたいこと感性」が曇ってきているわけです。
というのも、そういう学生時代から「勉強しなきゃいけない」、「親の期待に応えなきゃいけない」みたいな「やらなきゃいけないこと」を押しつけられているからですね。
「やらなきゃいけない」はそれだけではなく、「他人の価値観」も含まれます。
例えば、「有名にならなきゃいけない」、「お金持ちにならなきゃいけない」みたいな「見栄」ですね。
「こういうステータスがなければだめですよ」、「この平均水準に満たなければ、貴方は劣っていますよ」というマーケティングの洗脳にやられてしまっている場合がそれに当たるでしょう。
「やらなきゃいけないこと」に対する対策
そういう「必要でないけどやらなきゃいけないこと」を何とかすればいいわけです。
そこで、内容によって、いくつか分類して処理する必要があるわけですね。
その「処理する場合分け」を、以下で説明してみましょう。
- 掃除とか日常生活での小さな「やらなきゃいけないこと」は、すぐに済ませる。
- 自分の人生で喜びを与えてくれなくて、必要でもない「やらなきゃいけないこと」はできるだけやらない。
- 仕事など、やめると不都合が出るような「やらなきゃいけないこと」は、メリハリをつけて、「自由な時間」に干渉させない。
以下で、ささっと簡単に説明しましょうか。
掃除とか日常生活での小さな「やらなきゃいけないこと」は、すぐに済ませる
小さなことは、さっと即時処理することですね。
お金持ちの人とか、本当に「即時処理」なんですよ。
ある統計であった内容なんですが、年収別にアンケートを採ったら、「年収が高い人ほど返答までの時間が早かった」という結果があります。
これは、「年収が高いから時間が余っている」というわけではないんですよ。
実際、年収が低くても、時間が余っていることは多いものです。
でも、年収が高い人は、それだけ即時処理をすることで、「やらなきゃいけないこと」をなくして、自分の時間を作れる。
だから、よりクリエイティブになれるわけですね。
逆を言うと、年収が低い人は、何事もすぐに済ませないから、「やらなきゃいけないこと」だらけで、クリエイティビティーが発揮できないわけです。
自分の人生で喜びを与えてくれなくて、必要でもない「やらなきゃいけないこと」はできるだけやらない
上司との意味のない付き合いの飲み会とか、好きでもない付き合いとか、そういうのを一切やめることです。
すると、一気に「自分の時間」が増えるものです。
例えば私が会社勤め時代、当時は独立に向けて制作に集中していたので、会社では上司との使いの飲み会みたいな「絶対に必要なイベント以外」は全て断っていました。
新入社員が断りまくるんですから、だいぶ白い目で見られていたとは思いますが(笑
でも、そういうのにいちいち参加していたら、お金もなくなりますし、時間もなくなって、自分の人生を生きられないわけですね。
これは実は根が深くて、「他人の価値観」で生きていればいるほど、断れない傾向にあります。
いわば、「自分軸」がない人ほど、「周囲に合わせなきゃいけない」と思っているんですよね。
そういう場合は、自分が誰の人生を生きているのかを再確認してみるといいかと思います。
親の期待のために生きているとか、周囲の期待のために生きているとかあるでしょうが、「それが本当に自分と周囲の人たちを幸せにするのか」を考えてみるといいでしょう。
結論から言うと、親を幸せにできるのは、親である本人だけです。
子どもが親を幸せにすることはできません。
同じように、他の誰かが、「自分以外の人」を幸せにすることはできません。
このメカニズムは長くなるのでまたいつか説明できればと思いますが、「自分が他の人を幸せにすること」などできないことに気がつくことですね。
すると、自分軸を見つけられて、必要でないことは断れるようになるでしょう。
仕事など、やめると不都合が出るような「やらなきゃいけないこと」は、メリハリをつけて、「自由な時間」に干渉させない
最後は、本当に必要なことは、メリハリをつけることです。
やらなきゃいけないことは、気合いを入れてやりましょう。
そして、「自由な時間」にそれを干渉させないことですね。
仕事を家に持ち帰らないとか、ダラダラ続けないとか、メリハリをつけることです。
そうすると、「気分を変える」ことができて、「やらなきゃいけないこと」があったとしても、自由な時間を楽しめるようになります。
まとめ:人生を楽しむためにも、「やらなきゃいけないこと」を処理しよう
結論を言うと、私たちは、成長するに従って、「やらなきゃいけないこと」に押しつぶされて来ているわけです。
だから、幼い頃に持っていた「大人になったら、あれもやりたい! これもやりたい!」という心が曇ってしまい、「手間をかけること」を「だるい」とか「めんどくさい」と感じてしまうわけですね。
本来は、「手間をかけること」はとても楽しいことです。
幼い頃でも、例えば雨が降った時に水路にダムを造ったら、どんどん立派な造りになったとか、秘密基地を作っていたら、どんどん手間をかけるようになったとか、公園の地面に絵を描いていたらどんどん世界がふくらんでいったとか、ありますよね。
料理にしても、趣味にしても、こればこるほどはまっていく……そういう「手間をかけること」を楽しむ余裕が必要なわけです。
だからこそ、「やらなきゃいけないこと」を処理しましょうと。
小さなものなら即時処理して、人生に必要ないことならばっさり切り捨てましょうと。
すると、刺激に走るのではなくて、「手間をかけて楽しむ」という喜びを得ることができます。
ゲーム制作でも、小説でも、シナリオ執筆でも、同じです。
それらを心の底から楽しむことは、できます。
すると、幼い頃に感じた「大人になったら、あれもやれる! これもやれる!」という気持ちで、その「最高の大人」になれます。
だったらもう、毎日が最高でしょ。
人生を楽しんでいる人は、そういう感性で生きているということですね。
ということで、今日は「人生の楽しみ方」についてお話ししてみました。
今日のお話はここまで!