今日は、「欲しいものをより短期間で、効果的に、確実に得る方法」ということで、お話してみましょうか。

ほら、よく「与えよ、さすれば与えられん」って言うじゃないですか。
でも、実際のところ、「お金が欲しいのに、お金を与えたら、減るやん!」ってなりますよね(笑
私が説明するまでもなく、小学生でも解ける算数の問題ですよね。

でも、実はここに、ちょっとした「ひと工夫」が必要なんですよ。

 

「自分のため」に生きるのでいい

例えば、私たちには「欲」がありますよね。

よく宗教者には、「自分の喜びよりも、他人の喜びになることをしなさい」とか言う人がいたり、私が知っている人でも、いきなり「誰かのため」になろうとする人がいるわけです。
それでうまくいけばいいんですが、私の経験上では、「自分のため」を忘れて「誰かのため」になろうとしているほとんどの人が、何にもできずに停滞しているように思えます。

もちろん「他人のため」は素晴らしいことではあるんですが、私は「自分のため」でいいと思うんですよ。

ちょっとややこしいんですが、「自分のため」にやることを突き詰めて考えると、そこで「他人のため」になるわけです。

 

「これが欲しい!」という欲求の「本質」を見極める例

例えば、私がブランドもののバッグが欲しかったとしましょうか。
別にバッグでなくても、スーツでも何でもいいんですが。

じゃあ、なぜそれが欲しいのかを考えてみるわけです。
普通にものを運ぶなら、普通のバッグでいいですよね。
そういうバッグなら、家にあるわけです。

でも、「ブランドもの」であるということは、例えばそれを身につけることで、「あの人、お金持ちなんだ!」とか「すごい、センスある!」とか思われたい……という欲求があるわけです。
つまり、より正確に欲求を見極めると、「私って他の人から『うらやましい』と思われる、そんな素敵な生き方をしていると実感したい」という欲求があると言えるでしょう。

その欲求を満たしたいから、10万円もするようなバッグが欲しいと。
「10万円払ってバッグを買う」というのは、その欲求を満たすための「手段」ですよね。

一方で、私がどこかの募金箱に、100円ほど寄付をしたとしましょう。
寄付先は何でもよくて、東北の義援金だったり、盲導犬だったり、ユニセフやユネスコとかでも何でもいいわけです。

すると、「世の中にはこういう『持っていない人』もいるんだな。それに比べると、自分の環境はありがたいな」と思えますよね。
すなわち、寄付をすることで、「私って他の人から『うらやましい』と思われる、そんな素敵な生き方をしていると実感したい」という欲求を満たせるわけです。
これも、一つの「手段」ですよね。

 

「欲求を、クリエイティブに満たしてゆく」、という考え方

だったら、両者が同じく欲求を解決できるなら、どっちがよりクリエイティブな欲求の解決方法でしょう。

そりゃもう、100円で解決できる方ですよね。
「10万円払わなければならない」と思っていたの時を基準とすれば、私は「寄付をする」という解決手段を見つけた瞬間に、「99,900円ほどの価値を作り出した」とも言えるでしょう。

でも、この欲求は一度きりとは限りませんよね。
その欲求は何度でも欲しくなるわけで。

すると、私は生涯にわたって、99,900円の価値を繰り返し得をしてゆくわけです。

だから、私は寄付をするわけです。
これは、「他人のため」ではなくて、思いっきり「自分のため」なんですよ。
その最高の手段として「他人のためになる」という方法を使っているわけです。

実際のところ、寄付すらする必要はないんですよ。
本当にクリエイティブになれば、「お金をもらって欲求を解決すること」すらできるんですから。

例えば私が好きなものに「ストーリー理論作り」がありますが、これを作っていれば最高に満たされた気持ちになるわけです。
それを売りに出して、喜んでもらって、しかもお金になると。

だったら、10万円払うどころか、10万円をもらって、さらに欲求まで満たしてくれることもできるわけです。

 

「欲しいものを得る」ために「お金を払う」必要はない

「クリエイティブな生き方」っていうのは、こういうことなんですよ。
「あれが欲しいな~」と思ったら、「ねえ、あの商品、ちょっとくださいよ。おまけに10万円もくれません?」と言って、「いいですよ~」と、商品とお金を受け取るようなものです。
そして、相手も喜んでくれると。

これ、無茶苦茶でしょ(笑
でも、クリエイティビティーによっては、これが現実にできるわけです。

例えば、学校ってお金を払って学ぶところですよね。
お金を「払って」、スキルを得て、作業をする場所ですよね。
でも、会社では、お金を「もらって」、スキルを得て、作業をする場所なんですよ。

だったら、会社で学べば、お金をもらいながら、スキルを得ることもできるわけです。
しかも、学校とは違って、実績や成果も出せるわけで。
実際、ゲーム制作の専門学校も、ゲーム制作現場も、ほとんど同じようなことをしてるんですから。

他にも、テーマパークは「お金を払って楽しむ場所」でしょ。
だったら、仕事を最高に楽しくすれば、「お金をもらって、他の人に自分の仕事をしてもらえる」とか可能になるわけです。
実際にうちのチームでは、誤字脱字チェックとかをタダでやってもらって、それで「次もやりたいです!」と多くの人に喜んでもらっているんですから。

そんな風に、「欲しいもの」というのは本質があって、「何を買うか」、「何をするか」というのは、全て「手段」になるわけです。

なら、その「手段」をより突き詰めて、クリエイティブに考えましょうよ、というお話です。

 

「与える」方が、より欲求を満たせる

話を元に戻して、自分を満たすための手段として、次の二つのアプローチがあるとしましょうか。

  • 他人に与えて、他人を喜ばせることで、自分を満たす。
  • 他人から奪ったり、他人を見下すことで、自分を満たす。 

この二つがあったとき、実は、前者の「他人に与える」方が圧倒的に得られる喜びは多いんですよ。
実際、誰かから奪った時よりも、誰かからプレゼントされたり、プレゼントして喜んでもらう時の方が嬉しいものですよね。

他人から奪ったり見下したりしても、劣等感が増すだけで、実は全然満たされないんですよ。
その両者を比べて、与える方が自分にとって有効だから、与えているわけです。

「誰かのためになるため」に与えるのではなくて、「自分の喜びのため」に行動を起こして、その優れた手段として「誰かのため」にするということです。
ややこしいですかね(笑

 

人を幸せにすれば、自分が幸せになる原理

「自分の喜びのためにやったら、人に迷惑をかけるんじゃないの?」と思うかもしれません。
ですが、実は「人を幸せにする」ことが、最高の効率で自分に幸せを与えてくれることになるんですよ。

私たち人間だけでなく、多くの生物には、「種を発展させる」という遺伝子があります。
種を発展させる行動を取れば、快楽物質が出るようになります。
その上、種を発展させる個体は、種からも好かれるものです。
そのさえたる例が、「良心」という「種の発展・繁栄システム」だったりします。

逆に、種を減退させる行動を取れば、痛みや苦しみを生む物質が出ます。
それでも痛みや苦しみをこらえて続けていたら、次第に病気になり、最後には死んでしまいます。

というのも、私たちは「個」よりも、「種」を大切にするという生命のプログラムがされているからですね。
そういう風にプログラムされているから、何億年という長い間を生き続けて、進化できたわけです。

だから、究極的に言って、人類のためになる行動をすれば、幸せになれます
その「人類のため」というのは、時と状況に応じて変わるものですが、まぁどの時代にもだいたい言えるのが、「人を助けること」ですよね。

「人を助けること」というのは、すなわち「人を喜ばせること」ということです。
そして、「自分の喜び」を突き詰めて考えると、最終的には「人を喜ばせること」に行き着くわけです。

 

まとめ:「自分のため」に「他人のため」をすると、欲しいものが手に入る

だから、何か欲しいものがあった場合、その欲しいものの本質を見抜けるようになるといいでしょう。

それは単純に、「お腹がすいた」とかいう生理的な次元なのか。
それとも、「もっと尊敬されたい」みたいな心理的な次元なのか。

生理的なものは、誰にとっても必要なものでしょう。
ですが、心理的な次元の欲求なら、クリエイティブに解決することができるでしょう。

そしてクリエイティブに解決しようとすれば、そういう方法が見つかるものです。
その一つの「手段」が、「人に与える(=人を喜ばせる)」ということですね。

なので、最初は「自分のため」でいいわけです。
完全に「自分のため」を極めてゆくと、結果的に「他人のために」なるということです。

それが、「与えよ、さすれば与えられん」の本当の意味なんじゃないかなと思います。

 

他人の人生を生きるのではなくて、自分の人生をわがままに生きることは可能です。
自分らしく生きた上で、さらに人に喜んでもらえることも、クリエイティブになることで十分に可能です。
一つの考え方として参考にしてくださいませ。

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