今日は、精神的なお話です。
「苦しむほど豊かさを得られる」というのは、時間給の考え方、というお話です。
少し前に似たような記事(「長時間働くほど稼げる」という常識から離れてみよう、というお話)を書きましたが、今日はその続きです。
頑張らなくても、幸せになれる
とあるところで、「幸せになるために、頑張らなきゃ!」と言っていた人がいたんですよ。
もちろんこれは、きっと「目標に向けて、力を尽くそう」と決意しているんだろうと思います。
もちろん短期で実現できるのなら頑張るのもいいでしょうが、「長期的に頑張る」は、いろんな問題が出てくるものです。
だって、「頑張る」というのは、「マイペースを超えて無理をする」と同義ですからね。
すると、我慢強さ勝負になって、我慢が苦しい人ほど不利になってしまうと。
そんな風に、私たちはよく、「苦しむほど豊かさを得られる」って思うものです。
ある意味、「苦しんだり頑張らないと、豊かになれないし幸せになれない」と思い込んでいるわけです。
豊かさを時間給で考えない
でもそういう「苦しまなきゃ豊かになれない」って、雇われとかサラリーマン的な、時間給の考え方のように思います。
というのも、雇われの場合、時間給がほぼ固定されています。
なので、「依頼された仕事を、嫌でも我慢して長時間こなすほど、多く稼げる」となります。
そして世の中には雇われマインドの人がほとんどなので、「我慢をするほど、自分が苦しむほど、対価や豊かさを得られる」という常識ができます。
ただ、私の場合、そういう我慢が苦手なわけです(笑
なら、私のように我慢ができないタイプの人は、別の道を行けばいいんですよね。
別に無理に頑張らなくても、別のアプローチもあるように感じます。
じゃあどういう道があるのかというと、それがこのブログでもよく触れている「工夫をする発想」です。
で、その基本となる考え方が「苦しまないことで豊かさを得る」と「一度だけ苦しめば、後が楽になる手段を選ぶ」の2つかなと思います。
「苦しまずに豊かさを得る」発想
1つめの「苦しまないことで豊かさを得る」のは、まさに読んでそのままです。
苦しまずに幸せになれるとか、最高でしょ(笑
これは「苦しんで豊かさを得る」よりも少し難易度は高くなりますが、こういう発想でも豊かさを得ることができます。
そもそも幸せな状態って、「自分なりに生き生きして、自分の判断で動いて休んで、心地よく生きられている状態」だと思うんですよ。
簡単に言うと、「自分をねじ曲げなくてすむ生き方をする」ことかなと。
なら、「自分をねじ曲げることをして、自分をねじ曲げない幸せな状態になる」というのは、なんだか変ですよね。
もちろん個性のない人なら、我慢が比較的苦にならないので、我慢するのでいいと思うんですよ。
でも、個性が強い人ほど、自分をねじ曲げるのは苦しくなるものです。
何を起点に考えるのか
なので工夫をするか、しないかで、考え方が変わります。
普通の人(工夫をしない人)ほど、自分よりも外の枠組みを起点として、自分に必要なものを追加したり削除したりして、調整して考えます。
例えば、豊かさを得るためには、「給料(時間給)のいい場所」とか「有名で人気な会社」、「脚光を浴びている職種や業界」とかを重視します。
そして、「そういう給料とか会社、業界に入るには、どうしたらいいだろう?」と、規定の枠組みに自分を当てはめようとします。
一方で個性を元に工夫をするほど、自分の能力を起点として、「どうすれば他の人もうまく味わえるかな?」と、他者が味わうために必要なものを追加・削除して調整して考えることになります。
これは、まずは「自分が別に苦もなくできること」とか、「楽しんでできること」に着目して、その可能性を広げてゆく方向になります。
「これとこれを組み合わせたら、どうなるかな?」とか、「これを一緒に味わえないだろうか?」とか、そういう発想ですね。
他者を起点にするか、自分を起点にするか
例えば料理で言うと、時間給の世界(普通の人の世界)では、お客から「カツ丼お願いします」と言われて、作って提供するわけです。
そして、おいしいカツ丼を提供できる人が売れます。
それは、お客の中にある「カツ丼とはこういうもの」という欲求があることを起点として、それを提供しているからですね。
一方で、個性を元に工夫する世界では、「私はおいしい醤油を作れる」、「釣りや漁も好き」、「庭には柚の木がある」、「健康オタク」とか、自分の素質を起点とします。
なら、いろんな発想ができますよね。
「魚を刺身にして提供したらどうだろう?」とか、「魚のだしを加えた醤油を作ったらどうだろう?」、「オリジナルのポン酢はどうかな?」、「魚のコラーゲンから健康食品を作るのはどうかな?」とか、いろいろ発想できるわけです。
そうやって、自分の才能を起点に、可能性を追求するわけです。
その上で、「お客が味わうには、こういう工夫があるといいかも」と、味の濃さとか、分量、ボトルの形、使い方、買い方とかを調整していくと。
カツ丼を作るのとは、起点が正反対でしょ。
お客を元に考えるか、自分の個性を元に考えるか、ということです。
だから、視点や考え方を変える必要があるわけです。
自分を起点にするほど、最初は手探りになる
「カツ丼が欲しい」と言われて作るのは、とても楽なんですよ。
だって、すでに欲求やレシピがあるからですね。
ただし、だからこそ競争になるし、時間給になるし、しんどいわけです。
一方で、自分を起点にするほど、最初はとにかく意味不明で手探りになります。
最初ほど自分の才能がよく分かっていませんし、可能性自体も無限にあるので、なかなか切り口が見つかりません。
ちょっとしたきっかけでうまく行き始める
でも、ちょっとしたきっかけで、喜ばれたりすることがあるんですよ。
そしてそういう小さなことが、飛躍のきっかけになりえると。
例えば、自分用に「釣り人向けに、魚を釣ってすぐに刺身にして食べる用の、携帯用醤油」を作っていたとしましょうか。
すると、釣り仲間にそれを知られて、仲間うちでに人気になって、「私にもください」と言われるようになったり。
そして提供していると、少しずつ世界が変わってきます。
「自分は釣り人の状況や、気持ちが分かる」とか、「容器を作るために、プラスチック加工も勉強してみようかな」みたいに、さらに自分の能力や、興味を持てる新たな分野に気づくかもしれません。
他にも、「釣り人が釣ったその場で食べられるレシピを作ったらどうだろう?」、「調理器具も合わせて売ったらどうだろう?」、「寒い日でも元気が出る健康的なレシピはどうだろう?」みたいに、いろいろ工夫ができます。
そうやって、自分の才能とか、売る場が見つかったりするわけですね。
そして一度自分なりのヒットするポイントが見えると、ぐっと飛躍できます。
そういう「可能性をどんどん抽出して、うまくいくものを模索してゆく」という発想もある、ということです。
これは知恵も試行錯誤も必要ですが、うまくいけばオンリーワンになれるし、飛躍できます。
「一度だけ苦しめば、後が楽になる手段を選ぶ」
2つめの「一度だけ苦しめば、後が楽になる手段を選ぶ」も、まさにこのままです。
しんどいことは、一度だけで済ませるようにすると。
これは、1つめの「苦しまずに豊かさを得る手段」がある程度分かった後で、使うコツになります。
私の場合、「継続的に豊かさを作ってくれるシステム」が好きなんですよ。
私は作るのは好きなんですが、売り子をするのには興味がないと。
なら、例えば電子書籍もそうですし、ウェブアプリのように、「一度作れば、後は勝手に売ってくれる。在庫管理も必要ない。完全放置で、豊かさができる」というスタイルにするわけです。
いろんな「一度きりですむ」もの
他にも、以前「庭に植えるなら、普通の木よりも、柑橘類みたいな実のなる木を植えたい」って言いましたよね(笑
あれも、庭に植える作業はしんどいですが、一度植えたら毎年勝手に実を作ってくれます。
毎年何もせずともフルーツが得られるとか、最高でしょ(笑
それとか、数日前の野菜作りの記事でも触れたように、一度土台となる垂直水耕栽培システムを作って苗を入れれば、後は勝手にシステムが野菜を育ててくれるわけです。
栽培システムは一度きりですみますし、苗も収穫ごとの交換だけですみます。
畝(うね)作りとか、雑草処理とか、面倒な体力仕事はしなくてすみます。
そういう風に、とにかく「しんどいのは一度きり」にすることで、残りは自動化をするわけですね。
自分自身が単調作業をしなくてもいいように、できるだけ「単調作業の仕事」からは離れられるようにすると。
初期投資額は増やしても、ランニングコストを減らす
これは、ある意味で「初期投資額を増やしてでも、ランニングコストを減らす」と言えます。
なので手間をかけて、わざわざ自動販売システムを追加で作ると。
自分で売り子をすれば、確かに楽なんですよ。
それとか、「欲しい方は、メールでどうぞ」とサイトにメールフォームを設置して、手作業で郵送すればいいだけですから。
でも、それだと販売とか通販処理を自分でしなきゃいけないし、何より私自身が販売に興味がないと(笑
なので、「少し時間をかけてでも、一度作れば、後は継続的にシステムが売ってくれるようにしよう」と、最初の手間を増やすわけです。
実際、活動を続けていれば、「この人の過去作を買いたい!」というファンも出てきますからね。
すると、目先ではしんどくても、「未来のお客も、過去作を買える」とできて、より長期的な利益を増やせます。
なので、過去作の販売を終了するのは、それが黒歴史になった時だけですむと(笑
まぁこれは、ある程度売れるものが絞り込めてからするといいでしょう。
まとめ
そういう風に、「苦しむほど豊かさを得られる」というわけではない、ということですね。
「豊かになるために、頑張ろう」というのは、雇われとかサラリーマンみたいな、時間給の発想でしかないかなと。
苦しまなくても工夫で豊かさを作れるし、苦しむのを一度きりにすることで、後は自動化させることもできます。
確かに、短期的には時間給思考の方が圧倒的に楽なんですよ。
ただし、そういう時間給思考は「やればやるほど、しんどくなる」という世界です。
一方で工夫をする発想は、短期的にはとにかく切り口が見えないし、自分の能力も見えなくて、苦しみやすくて。
でも、工夫を重視すると、あるときからぐっと伸びますし、「やればやるほど楽しくなるし、毎日が楽に豊かになる」という世界になります。
そういう発想転換ができると、時間給以外の道で生きやすくなるかもしれません。
ということで今日は、「苦しむほど豊かさを得られる」というのは、時間給の考え方、というお話でした。
今日はここまで~。