ここ最近、新作本「大好きなことをしてお金を稼いで、独立する方法(仮題)」を書いてます。
ってことで、最近はビジネスとかお金の話題が多めになってます。
今日も、少しお金の話、年収のお話でもしてみましょうか。
年収は、自分で変えられるもの
一昨日も触れましたが、普通は「自分の年収はこれだけだから、この範囲におさまるような生活をしよう」って、考えるものですよね。
でもそれって、あたかも「年収は変わらない」ような考え方じゃないですか。
特にサラリーマンほど、この条件反射的な考え方に染まっているものですよね。
「年収は、自分以外の誰かが決めるもの」だと思っているんですよ。
これは同人をやったことある人とか、自営業の人ならすぐに感覚的に分かりますよね。
例えば、同人誌でも、表紙を素敵な絵描きさんに描いてもらうだけでも、売り上げが断然変わりますし。
収入というのは、工夫次第でいくらでも変わる世界なんですよね。
価値あるものを与えれば、より高額のものがもらえる。
「だったら、扱ってる商品を変えればええやん」
それだけですよね(笑
サラリーマンだと、「でも、今の会社はどんなに頑張っても、千円ぐらいしか上がらないんです」と思うかもしれませんが、なら会社以外からの収入を得ればいいだけですよね。
大切なのは、それを「自分が決めるもの」だという意識があるかどうか、なんですよ。
自分で決める筋力を上げると、「全部自分で決められる」と分かる
これは年収だけでなく、時間の過ごし方や、人生の歩き方も、同じです。
人に決められてばかりに染まってしまっている状態では、年収も、時間の過ごし方も、人生も、自分で決めることができないんですよ。
「貴方はこの会社で、この部署で、こういう仕事をして、こう時間を過ごしなさい。休暇はテレビや雑誌、周囲の人が言うようなことをしなさい。貴方の年収はこれだけですよ。人生はこういうものですよ」
少なくとも、これに従って生きることは、とても楽なんですよね。
他人に決められると、自分で考える必要がありませんからね。
筋肉と同じで、「自分で決める」という頭の筋肉は、使わなくなったら果てしなく弱くなっていくんですよ。
実際、何も考えずにサラリーマンを20年以上続けてる人に、「今、貴方がこの会社をクビになって、どこの会社にも勤められなかったら、どう生きていきますか?」と尋ねて、答えられる人ってほんのわずかだと思いますから。
でも、頭を使っている人だと、もう101通りぐらい答えますから(笑
もし条件反射的に「年収は決まっているもの」と考えてしまう場合、「あれ? もしかして私、『自分で決める』っていう筋力が弱ってない?」と気づくことですね。
そして、これは鍛えればちゃんと元に戻ります。
きちっ、きちっと、毎日「私はこれを選ぶ。なぜなら、私は未来にこうなりたいからだ」と決めていれば、筋肉と同じように戻っていきます。
すると、その筋肉が戻ってきたら、「あ、こうやっても生きていけるな。こういう流れでも生きていけるな」とか、「こういう稼げる方法もあるな」という可能性に気づいてくるんですよね。
「人生の善し悪しは、自分で決める」という覚悟
そうして筋力が元に戻ると、「年収は自分で決めるものだ」とはっきりと分かるようになります。
そう考えると、「転職は恥ずかしい」とか、「年収が下がる」とか、アホらしいでしょ(笑
そんな周囲には、「自分の人生の善し悪しを、周囲の奴らに決められるのか」って言いたくなりますよね。
目の前に起こる出来事の善し悪しを決めるのは、自分自身なんですから。
それがたとえ苦しい出来事だとしても、「今、私は鍛えられている。強くなっている」と思えば、すがすがしく前を向いて過ごせますよね。
実際、人はいつまでも成長できるものではありません。
「子ども叱るな来た道じゃ。老人笑うな行く道じゃ」という言葉がありますが、「衰える」ことや「苦しみを味わう」ことは、「成長する」ことと「喜びを味わう」ことと同じで、嫌でも来るものです。
「生きる」ってのは、「若い時は若い時を生きて、歳を取ったら、歳を取ったように生きる」ってことですから。
だったら、「年収を決める時は、そういう風に生きる」、「自分の生き方を模索する時は、そういう風に生きる」でいいんですよ。
「私は今、そういう時期なんだ」と、受け入れる。
結局のところ、前を向いて、すがすがしく生きている人が、一番気持ちいいんですよ。
「自分で決める」という筋力が戻ってくると、こう感じられるようになります。
まとめ
なので、年収も人生も、「他人に決められて当然」ではなくて、「自分で決められるんだ」と分かると、結構変わってくるんじゃないかと思います。
ってことで、今日は「年収は自分で決められる」というお話でした。
今日はここまで~。