今日は少し気分転換に、世の中についてお話ししてみましょう。
国が滅びることは怖くない。だけど国が「滅びるかも」と恐怖で動く状況は怖い、というお話です。
「このままだとこの国は滅びる!」系の主張
SNSを見ていると、「このままだと日本は滅びる!」みたいなツイートがありますよね。
特に政治系では、そういう内容が多いように思うんですが。
ちなみにどうでもいいんですが、実はアメリカでもそういう「このままだとアメリカは滅びる!」みたいな主張は多いんですよ。
そして自分の意見とは違う政策が可決されると、「アメリカはもう終わった」とか、「アメリカは滅びに向かい始めた」とか、まぁいろいろ言われていて。
そういうのを見ると、「どの国でも似たようなものなんだろうな」と思ったりもします。
ただ、私の中では、「国が滅びること」そのものはさして怖くはないように思います。
それよりも、国が「滅びるかもしれない」と恐怖を感じて、その恐怖に突き動かされる状況の方が怖いようにも思います。
国が滅びたとしても、人間は生き続ける
まぁ最近も何度か語ってますが、実のところ、国が滅びたとしても、人間は生き続けるんですよ。
古代ローマ帝国や漢王朝が滅びたとしても、ソビエト連邦が崩壊したとしても、東西ドイツが統合したとしても、そこに住む人々は普通に生き続けます。
歴史上では、様々な国が生まれて消えてゆきましたが、「国家が滅んだら、その国に属する人々はすべて消滅する」なんてことはありません。
「ソビエト連邦が崩壊した時、その連邦に属する人々2~3億人が、一瞬にして蒸発して大量死した」とか、そんなことないわけです(笑
いや、それぐらいのリスクがあるなら、政治にもかなり気合いが入るとは思いますが(笑
「国が滅びても生きる」というスタイル
裏を返すと、「国が滅びても、人々は結構なんとかやっていける」と分かっているから、腐敗とか汚職、偽装もできるんじゃないかと思います。
例えば中国では、多数派の漢民族以外の王朝支配も多くありましたが、それでも中国人は中国人です。
だから彼らは、「表面では権力に従っているように見えて、したたかに生きる」というスタイルが多いんじゃないかなと。
同じようにアメリカ人は、元々が大不況のヨーロッパから出て、アメリカに移民した人たちばかりです。
だから彼らは、「いざとなれば移動すればいい」というスタイルが多いように感じます。
実際にアメリカの富裕層は、だいたいがプエルトリコ(アメリカの自治区)とか、アジアならシンガポールみたいな場所に移ってますからね。
つまり、彼らは民族の歴史として「国が滅びること」や「苦しい環境から出て、新天地を求めること」に慣れているし、「国が滅びても、国を変えても生きてゆける」という前提で生きているように感じます。
そしてそういうスタイルだと、「国が滅びる」ということに対して、大きな不安を持つことはなくなります。
これはこれで、一つのスタイルのようにも思います。
「滅びるかもしれない」と混乱した状態が怖い
私の中では、それよりも怖いのは、国が「滅びるかもしれない」と恐怖を感じて、人々がその恐怖に突き動かされる状況ですね。
言うなれば、国が滅びる瞬間よりも、「国が滅びる末期の混乱」の方が、よっぽど危険なように思います。
例えば戦争でも、「勝敗が決した直前直後」というのは、犠牲者数は少ないものです。
でも、「滅びるかもしれない」と恐怖に駆られて、「全員特攻だ!」と狂い叫んでいる時の方が、よっぽど犠牲が大きいものです。
破綻や失敗は、小さければ痛くはない
これは国だけでなく、会社でも、個人でも同じです。
破綻や失敗そのものは、小さければさして痛くはないんですよ。
「この挑戦はダメだったな」とか、「もうこの活動は合わなくなったな」という場合、どんどん整理してゆけばいいわけです。
すると少しずつでも、より時代に合った、利益が出せる活動に軸足を移動できます。
だけど、「破綻してはいけない。失敗してはいけない。少しも落としてはいけない」という恐怖が、痛みを先送りにします。
するとさらに借金や負債を重ねて時間稼ぎをするんですが、同時に少しずつ「破綻したときの痛み」が積み上がっていきます。
で、それで打開策が見つかればいいんですが、古いものを整理していないので、新たなものに着手できる余裕がないものです。
だから借金や負債ばかりが積み重なり、「今から落ちると、以前よりももっと痛い」と分かって、もっと怖くなって、だからもっと破綻を先送りにします。
そして気がつくと、「一度失敗したら、大クラッシュする」という状況に追い詰められていて、逃げ場もなく、大混乱をすると。
人は恐怖を抱えると、奪おうとしたり、支配やコントロールをしようとしたり、だまそうとしたり、いろんな反応を起こします。
破綻そのものよりも、そっちの方がよっぽど怖い、ということですね。
まとめ
なので怖いのは、「滅びる瞬間」よりも、「滅んでゆく末期の混乱」のようにも感じます。
国は一つの運営システムでしかないので、一度滅んだとしても、その後には新たな秩序ができるものです。
まぁソマリアとか南スーダンのように、内戦続きで見捨てられる例もありますが、日本のような地域ではそれはないでしょう。
ある意味、「破綻は悪いことではないし、怖いことでもない」ということですね。
破綻や失敗は、「一時的な悪いこと」でしかありません。
だから長期的には、小さい時点でいろいろ破綻させる方が、効率がよくなります。
破綻を先送りにするから、大クラッシュが来ると。
ならば私たちは、「今からでも、小さな破綻や整理をしておこう」と準備できるかと思います。
国家の破綻は避けられなくても、私たち個人個人で、早めに「効果を生まない、現状維持のためだけの活動」は整理・精算して、身軽になっておくことですね。
なら、後はスタイルの違いだと分かります。
中国人のように「国が滅んでも、人は生き延びられる」と、したたかに今の場で生きるか。
もしくはアメリカ人のように、「苦しい環境から出て、新天地を求めてもいい」と、自分や生き方、生きる場を変化させてゆくのか。
もちろん高共感な人のように、「苦しんでいる人が多い場で、弱者を助けよう」とする生き方もいいでしょうし、「日本の弱者を支援するために、自分は外に出て、そこから利益や支援品を送ろう」とするのもいいでしょう。
なら、世の中に翻弄されるだけでなく、「自分にできることがある」と分かって、国の破綻や破滅をむやみに恐れなくなるかと思います。
同時に、「破綻前の混乱の方が、一番怖い」と、適切な準備ができるかと思います。
すると、堂々と自分の生き方ができるかな、と思ったりもします。
ということで今日は、国が滅びることは怖くない。だけど国が「滅びるかも」と恐怖で動く状況は怖い、というお話でした。
今日はここまで~。