今日は、豊かさのお話をしてみましょうか。
「自分には価値のないものだけど、他人には価値があるもの」をどんどん出せば、豊かになる、というお話です。
いらないものを与えると、喜んでもらえた
先日にノートPCを手放したんですが、無事に届いて喜んでもらえたようで、何よりだったりします。
面白いのが、あのPCを手にしてくださった方って、私が「PCお譲りします」とTwitterでツイートするまさにその十分程度の直前に、「そろそろノートPC買うかなぁ」みたいなツイートをしてたって言うんですよ(笑
こういう偶然のタイミングがあると、ほんとシンクロニシティとか信じてしまいそうになるんですが(笑
そして、私のツイートを見て30分もしないうちに決断して、行動したっていうのもすごいですよね。
まさに素晴らしい行動力だな、と思ったりも。
で、ふと思ったのが、私にとってはノートPCは既に必要なくなったので、「さして価値がないもの」という感覚だったんですよ。
むしろ、あるだけ邪魔、みたいな。
でも、受け取った人からすると、とても喜べるもので、15,000円を出したとしても「安い!」みたいな感覚なんですよね。
これがコツなんじゃないか、と思うんですよ。
自分にとっては全然価値がないものでも、他の人には価値がある、みたいな。
だったら、そういう「価値のないもの」は、惜しみなくどんどん与えられますよね。
それは物質的なものだけでなく、情報とか知識、経験もあるわけで。
同時に、相手が喜ぶ形でそれを与えると。
なら、そういう「自分にとっては価値のないものだけど、他人にとっては価値あるもの」をどんどん出していたら、自然と豊かになりますよね。
この「価値のないもの」を「価値あるもの」に逆転できるかどうかが、コツかなと思ったりもします。
貧しくなるには、「自分にとって価値あるもの」を与えればいい
逆に、貧しくなるのは簡単で、その逆をすればいいわけです。
「自分にとっては価値あるものだけど、他人にとっては価値がないもの」をどんどん出していくと、笑えるほど貧しくなれると。
なので、自分にとっての宝物は、売っちゃダメだと。
自分にとってのゴミを売りなさい、ということですね。
で、「時間」というのは、基本的に誰にとっても価値があるものなんですよ。
時間ってのは、人間にとっては一番重要な資産で、「時間」は「人生」と同義ですからね。
だから、「時間の切り売り」というのは、いわば最後の手段になるわけです。
それは、「人生を切り売りする」のと同じだからですね。
でも、いきなり最初にそれをやっちゃう人って、結構多いんですよ。
言うなれば、家の中に売ればお金になる資産が山ほどあるのに、お金を得るために奴隷になってしまう、みたいな。
そしてサラリーマンになったり、嫌なことを我慢してしたりするわけですが。
「お金ほしさに奴隷になる前に、売れるものを見つけよう」ということですね。
中には石油みたいにこんこんとわき出る資産もあるのに、「こんなどす黒い、汚い液体には価値がない」と思い込んじゃってるんですよ。
「私のこんなどす黒い性格や、無限にわき出る趣味趣向への情熱には、何の価値もない」みたいな。
とてももったいないことですよね。
だから、価値を見つけ出せる人ほど、豊かになるものなんですよ。
で、そういう人ほど、自尊心も高いものです。
というのも、「自分の価値」も見つけられるからですね。
その「どす黒いもの」は、価値あるものだと知ることですね。
すると、自分の内側からあふれ出る豊かさを与えることで、喜んでもらいつつ、豊かになってゆくと。
逆に、劣等感が強い人ほど「私は無価値だ」となって、自分の周りにある価値にも気づけずに、貧しくなっていくものです。
こういう人は、自分の外にある豊かさを、奪うようにして得ていくわけです。
確かに奪えば奪うほど豊かになりますが、周囲から恨まれますし、常に「いつか自分も奪われるかもしれない」とおびえるようになるんですよね。
それで幸せを味わえるのならいいんですが、私はどうもそういうスタイルは苦手だったりもします。
まとめ
そんな感じで、まずは自分にとっては価値のないものを与えるのが先かな、と思います。
それでお金を得られるようにしましょうよ、ということです。
時間の切り売りは、最後の手段なんだと。
そしていらないものを与えていると、人から「これ、もっと欲しい」、「私も欲しい」みたいに言われるものが見つかるんですよ。
それが、豊かさの源泉ですよね。
特に、こんこんとわき出るような知識とか経験は、最高の豊かさをもたらしてくれる可能性が高いと。
そういうのに目を向けてみるのもいいんじゃないかな、と思います。
ということで、今日は「自分には価値のないものだけど、他人には価値があるもの」をどんどん出せば、豊かになる、というお話をしてみました。
今日はここまで~。