今日はちょっと、「判断」についてお話しましょうかね。

私は人の情報は参考にはしても、全面的に信頼するというのではなくて、必ず「最後は自分の判断基準で決める」って感じで動いているんですよ。

これはどういうことか、ちょっとした体験談があるので、お話してみましょうか。

 

私は毎日1時間ぐらい散歩するんですよ。

で、去年の12月ぐらいのことなんですが、天気予報の雨雲の動きをネットで見ると、「30分後に雨が降り出し、一時間後には大雨になっている」となっていたんですよ。

でも、実際に外を見ると、超晴天(笑
雨雲のあるらしき方向を見ても、空全体を見渡しても、全く雲もなくて、風も乾いている。
同じように散歩をしている人が多くいますが、周囲は誰も傘を持っていません。

デジタルを使いまくっている若者も、何十年も近所を散歩していて経験がある大人も、誰一人として傘を持っていないんですよ。

繰り返しますが、誰一人、傘を持って歩いている人はいません。

そういう時、どうします?

「傘を持って歩くのも面倒だし、でも雨に降られたら嫌だし、みんな大丈夫そうだからいいかな?」、「超晴天なのに、私だけが傘を持って歩いていると、なんか恥ずかしい」とか思いますよね。

でも私は、こういう時は傘を持っていきます。

実は今までも、こういうことは多くあったんですよ。
みんなが手ぶらなのに、私だけが傘を持って歩く。
散歩ルートはだいたい同じなので、顔を知っている人もいて、奇異の目で見られても持って行きます。

そしてその超晴天だった日も、30分後から突然大雨になりました。

冬の冷たい雨ですよ。
周囲の全員は大慌てで走ったり、これから何時間もやむことはないのに、途方に暮れて雨宿りをしたりしています。
私だけが、悠々と傘をさして歩くことができたんですよ。

 

つまりは、誰の言葉を信じるのか、誰の話を信じるのか、ということですね。

「いい大学に入って、いい会社に入って、いい給料をもらいなさい。すると幸せに、安全に暮らせますよ。それ以外は不幸の道ですよ」という人たちの言葉を信じるのか。
「みんなと同じように、目立たないように生きなさい。目立つと、叩かれますよ」という言葉を信じるのか。
「独立するなんてバカな夢はもちなさんな。食べられなくなって、もっと悲惨で低給料の会社に入ることになって、人生台無しになりますよ」という言葉を信じるのか。

そういう「洗脳言葉」が世の中には溢れているものなんですよ。
そして私から見ると笑ってしまうのが、そういう言葉を言っている全員が、「それを実現していない人が言っている」ということなんですよ。
なぜなら、彼らは恐れているから、ですね。

「自分の生き方がベストではなく、他にもっとやり方があったんじゃないか」という事実を知らされることを。

本当は現実を見て、今からでも理想の方向に方向転換して、努力してゆけばいいものだと思うものですよね。
人生はいつからでも挑戦できるんですから。

私だって、アニメや他のゲームで失敗した時は、「仕方ない」と割り切って方向転換しましたからね。
現実をしっかりと見れば、いつからでも人生は変えてゆけるわけです。

でも、彼らは「今までそれを見ないようにしてきて生きてきた」んですよ。
だから、「もしそれを認めてしまうと、これまでの数十年間が無駄だったと気づかされてしまう」わけです。
なので、「無駄だったと思いたくない」から、ずっと今までと同じように、古い価値観で物事を進めてしまうわけです。

そして死ぬ時になって、「もっと自分らしく生きればよかった」と言うんですよ。
だから、こんな風に、多くの後悔を残してしまうわけで。

 

誰の言葉を信じるのか。
誰の考えを信じるのか。

彼らが抱えているリスクは何なのか。
私が一番のリスクだと思っているのは、「死」そのものよりも、「生きることをしないこと」だと思うんですよ。

というのも、死は誰にでも訪れることですからね。
いつか確実に来るものだから、それは受け入れるしかない……だから、一番のリスクではないかなと。
それが五十年後になるか、十年後か、一年後になるか、明日になるかは分かりませんが、どのみち死ぬときゃ死ぬで、受け入れるしかないですよね。

それよりも、「『生きる』ことをしない」というのが、一番のリスクだと思うんですよ。
私は何をリスクと考えるかというと、これがリスクだと思っています。

「生きることをしない」とか「死」などと比べると、今の日本で「一時的に収入レベルが下がる」なんてのは、本当にリスクなんだろうか……と思わないでもないですが。

そんな風に、私は多くの人の意見を聞きますが、最終的には自分自身の判断で動くようにしています。
かっこ悪くても、「あいつ、一人だけ違うことしてるよ」と笑われても、「あいつ、必死でもがいてやがるよ」と笑われても、別にいいかなと。

クリエイターは挑戦と共にあって、多くの失敗を経て成功するものですからね。
失敗を一切しない、スマートな生き方は、ちょっと合わないかなと。
不器用で、もがいて、あがいて、みっともなくても、それがたとえ泥臭い生き方でも、いいんじゃないかと。

それはまさに、「誰一人として傘を持っていなくても、私は傘を持っていく」という判断なわけです。

ということで、今日も、おかげさまで全力で生きることができています。
一日が終わって寝る時に、「これで明日、もし目が覚めなくても、納得して眠れる」という状態で、満足して眠りにつける毎日ですね。

まぁ後半から流れが変わりましたが、そんな感じの、ちょっと変わった考え方を紹介してみました。

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