ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

私は独立する時に、「のたれ死に上等!」という覚悟で独立したんですよ。
でも、日々の雑務に埋もれていると、私でもやっぱり忘れたり、しょーもないことでイライラしたり、不安になったりするものなんですよね。

そういう時に、こういう「節目」みたいなものは、大切なことを思い出させてくれますよね。

以前どこかのインタビュー記事で読んだことがあるんですが、「起業家と話をする時には、ほぼ必ず『死』という言葉が出てくる。彼らは常に、死を意識していて、『人は死ぬ』という事実をベースに考えている」というのがあったんですよ。
私もまさにこれで、そしてこのページを見ていて独立してやっている人とか、独立起業家タイプの人は同じような感覚なんじゃないかと思います。

独立してやっていると、「守ってくれるもの」がないので、常に死を意識せざるを得ないですよね。

そこから考えると、人は必ず死ぬわけで。
すると、「死」は最大のリスクではないわけですね。
「生きない」というのが、最も恐ろしいリスクになるわけで。

であれば、「何も挑戦しない」、「自分にとって好きなことをしない」というのは、「死よりも恐ろしいこと」でもあるんですよ。
自分の人生を生きずに、他人の人生を生きること、それは最も恐ろしいですよね。
だから、挑戦するエネルギーが出てくるんだと。

私たちは自由に動ける。もちろん制約もありますが、アフリカ諸国やら北朝鮮よりかは、自由度が高い。
そんな環境で、「親がこう言ったから」とか「世間がこうだから」とか、「誰々ができないと言っているから」とか、そういう理由付けはちっぽけなものになると。

そもそも、この広大な宇宙で、私たちの命そのものがちっぽけなもので。

であれば、大いに「生きる」ことですよね。

なら、「生きる」とはどういうことかというと、「自らの意志で道を選ぶ」ことかなと思います。
「周囲がこうしたから自分はこうする」ではなくて、「私はこう生きる」という自分の軸を持つことかなと。

たけし氏の最後の言葉がまさにこれを端的に表現していたので、最後に引用しておきましょうか。

今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。

そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。それはこんな時でも変わらないよ。やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。

 

ということで、いろいろと感じた節目の日でした。

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