今日は、心理メカニズムのお話です。

「見捨てていい」とできると、不幸の連鎖を断ち切れる、というお話をしてみましょう。

 

「母親の問題行動」をどうすれば解決できるのか

先日、こういう質問をいただいたので、ご紹介。

母はその結婚した当初から、父の通帳から勝手にお金に困っている母の実家にお金を送りつづけていました。

父にバレたあとも(中略)隠れて借金をして実家に送るようになったみたいです。

現在母は59歳なのですが、(中略)早いと18時すぎには「起きてても仕方ないから」と寝てしまい、力無い感じで生きています。

どうすればこの問題は全員がスッキリできるんでしょうか。

 

質問内容はというと、「母親の問題行動を、どうすれば解決できるのか」ということですね。

質問者さんの母親は、「実家がお金に困っているから」ということで、父親に隠れて20年以上もお金を送り続けていたわけです。

その後、父親にばれて大騒動になったのに、その後もこっそり借金してまで送っていたと。

でも、実家の借金癖は治らずに、全額返ってこないままで。

 

で、その母親はというと、幼い頃に祖父から暴力を受けていたようで、質問者さんが言うには「母親も私利私欲ではない。つらかったんだろう」と共感しているわけです。

だけど、その母親は不満げな態度ばかりで、今となっては生きる気力も失っているし、お酒ばかりのようで。

そこで両親と一緒に住んでいる質問者さんは、「そんな母親を見ているのがつらいから、どうすればこの問題を解決できるのか」と質問してきた、ということです。

 

高共感な人がはまりやすい「不幸の連鎖」

これがまさに、「高共感な人がはまりがちな、不幸の連鎖」だろうと思います。

 

「高共感な人」というのは、相手の気持ちを強烈に共感できるタイプです。

なので、相手の苦しみを深く感じ取ってしまうことで、「不幸な人を助けたい」という気持ちが強いタイプなんですよね。

つまり高共感な人というのは、「苦しんでいる人に手助けできる」という、いわゆる「社会のお医者さん」的な役割を担います。

だから高共感な人は、世の中を動かすよりも、「困っている少数の人を手助けして、深く喜んでもらえると、それが自分にとって大きな喜びになる」という性質を持ちます。

 

そういうこともあって、高共感な人ほど、身近に不幸な人がいる場合、「なんとかして助けてあげたい」と強く願うことになります。

 

不幸な人や過去を見捨てる、という発想

ただ、世の中には、「自分の力では助けられない人や出来事」があるものです。

その場合、どんなに尽くしても相手を喜ばせることができないので、無力感を味わいやすいんですが。

 

じゃあどうすればいいのかというと、それが「不幸な人や過去を見捨てていい」ということですね。

それが優しさだと分かると、「見捨てることが、相手を救うことにもなる」と分かって、不幸の連鎖を断ち切れるかと思います。

なので今日は、そんな「過去(先祖)の不幸をつなげてしまう」という心理メカニズムについて、説明してみることにしましょう。

 

質問者さん本人は、母親とまったく同じ

ここで少し、客観的に母親と質問者さんの状態を見てみましょう。

これ、質問者さんご本人は当事者なので分かりにくいんですが、客観的に見ると、とても興味深い現象が起きているんですよ。

それが、「質問者さん本人が、母親とまったく同じことをしている」ということですね。

 

というのも、母親は「実家が苦しんでいるから、助けたい」と思って、お金をこっそり送り続けていたわけじゃないですか。

だから、母親も「実家を助けたい」という気持ちで、「どんなに尽くしても満たされない人たち」を救おうとしていたわけです。

そして、母親は「自分の夫や家庭の、今と未来の幸せ」を犠牲にして、尽くしていたと。

 

実は同じように質問者さんも、「母親を助けたい」という気持ちで、「どんなに尽くしても満たされない母親」を救おうとしているんですよ。

そして母親について悩むことで、「自分の今と未来の幸せ」を犠牲にして、尽くしているわけです。

 

先祖から続く不幸の連鎖

だから、質問者さんと、その母親は、まったく同じ心理で行動しているわけです。

「親を助けたくて、自分(とその家族)の幸せを犠牲にしている」んだと。

私がこの質問をメールでいただいて読んだ時、最初は「質問者さんが母親の化身なんじゃないか」と感じたぐらいですから。

 

ひょっとすると、母方の祖父母にも、さらに同じような不幸があったのかもしれません

祖父母自身も、「どんなに尽くしても満たされない曾祖父母を満たそう」として、苦しんで。

そして祖父母も、「自分たちと、自分の子供(質問者さんの母親)の、今と未来の幸せ」を犠牲にして。

結果として、母親が「祖父母を助けなきゃ」と思うようになって、自分の人生とか、幸せを手放してしまったのかもしれません。

 

そういう「先祖から続く不幸の連鎖」があるようにも感じます。

まぁそれは深読みしすぎだとしても、少なくとも「母親がやっていること」と「質問者さんのやっていること」の心理は同じだと言えます。

 

「先祖の不幸」も連鎖しやすい

すると、ちょっと未来が怖くなるでしょ。

だって、質問者さんが「このまま母親を幸せにしようとしていると、どういう状態になるのか」が分かるんですから。

すぐ目の前に、「母親」という「自分の未来の姿」がいるわけです。

それが、「自分には助けられない不幸を助けようとして、尽くした結果」です。

 

これが、共感性の罠とも言える、「不幸の連鎖」だろうと思います。

虐待だけでなく、「先祖の不幸」も連鎖しやすい、ということですね。

 

助けられない不幸は、見捨てていい

じゃあどうすればいいのかというと、それが「助けられない不幸は、見捨てていい」とすることです。

簡単に言うと、「母親を見捨てていいですよ。それが優しさになって、母親を救うこともありますよ」ということです。

 

普通は、「見捨てるなんて、薄情者だ。してはいけないことだ」とか感じるじゃないですか。

だけど、「自分には助けられない人」を助ける必要はないんですよ。

だって、「自分には助けられない人を助けようとして、時間を無駄にする」よりも、「自分に助けられる人を助けて、喜んでもらう」という方がいいでしょ(笑

その方が、世の中をより喜びで満たせると分かります。

 

「助けられない不幸」を認めること

そもそも、「助けられない不幸」って、世の中には山のようにあります。

むしろ、私たちが「誰かを本当に助けられること」なんて、ごくごくわずかな領域のようにも思います。

 

その場合、「助けられない現実」を認めて見捨てるには、苦しみを背負う必要があります。

つまり、自分に助けられないことは、「見捨てる」しかないわけです。

「他の人に任せよう」とすることも、ある意味「見捨てる」ことと同じです。

ならば、その苦しみを、質問者さんが担えるかどうか、ですね。

 

そして、「先祖の不幸」なんてものは、明らかにもう助けられないことですよね。

曾祖父母どころか、祖父母もすでに死んでいるのに、母親はそれを今でも助けようとしていたり、「助けられなかった」と罪悪感を持ち、生きる気力を失っているわけです。

 

「助ける」のではなく「供養する」

その場合、「先祖の不幸は、供養(くよう)する」のもいいでしょう。

「供養する」とは、言い換えると「見捨てる」ということです。

「助けよう」とするのではなく、過去の不幸を助けられないこととして受け入れて、手放すわけですね。

 

例えば「100年前に起きた不幸」なんてものは、手を合わせて供養するのでいいわけです。

同じように、「過去に起きた不幸(現在の母親の不幸)」も、手を合わせて供養すればいいと。

そうすることで、共感性による「不幸の連鎖」を断ち切れるかと思います。

 

見捨てる罪悪感を背負ってあげる

裏を返すと、質問者さんも母親も、「見捨てちゃいけない」と、罪悪感に恐れているわけです。

母親は「自分は、実家を見捨てた」という罪悪感に耐えられないから、人生をかけて実家を助けようとして、ダメで、落ち込んでいると。

同じように、質問者さんも、「母親を助けなきゃいけない。見捨てちゃいけない」と、見捨てる罪悪感に耐えられないから、助けようとしてしまっているわけです。

 

でもそこで、質問者さん自身が「見捨てる最初の事例になろう」と、その負担を背負ってあげるとどうでしょう

質問者さんが「母親を見捨ててあげる。見捨てる罪悪感を担ってあげる」ことで、母親は「見捨ててもいいんだ。先祖の不幸は、手放していいんだ」と、可能性に気がつくかもしれません。

もちろん母親は、それでも「見捨てるなんて許せない」と感じ続けるかもしれませんが、それは母親の人生です。

 

そして質問者さん自身が、そういう「過去の不幸を供養して(見捨てて)、今からの幸せを作る」とするわけですね。

そうして質問者さんが「不幸な親を見捨てて、子が幸せそうに生きる姿」を見せることで、母親自身も「実家や祖父母を見捨てて、自分が幸せになってもいい」と気づけるかもしれません。

 

まとめ

だから、共感性による「不幸の連鎖」は断ち切るのでいいかと思います。

その場合、見捨てればいいわけです。

 

まぁ「見捨てる」というと言葉が悪いので、「供養する」と表現するといいでしょう。

手を合わせて、「私には助けられませんでした」と罪悪感を背負ってあげることで、不幸の連鎖を断ち切れます。

そうすることで、私たちは「助けられなかった過去」を手放せて、今と未来とか、子孫に対して幸せを作ってゆけるわけですね。

 

すると、「母親はそれでいい。私は先祖から続く不幸の連鎖を断ち切り、私は私なりに、今と未来の幸せを作ります」とできて、執着を手放せて、自分なりに動けるかもしれません。

 

ちなみに、こういう共感性についての内容は、「高共感な人の生き方戦略」という本に書いているので、興味があればぜひどうぞ。

 

ということで今日は、「見捨てていい」とできると、不幸の連鎖を断ち切れる、というお話でした。

今日はここまで~。

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