今日も、ちょっと短めの日記で。
「アラビアータを作ろうとしたら、エビチリになった。これが成功でいい」というお話です。
アラビアータを作ろうとしたら、エビチリになった
パスタで、アラビアータって料理があるじゃないですか。
レシピ動画を見ていたら、そのアラビアータが紹介されていて、「作ってみよう!」としたんですよ。
で、作ってみると、思いっきりエビチリになったと(笑
エビは入っていませんが、まさにエビチリの味で。
見ると、アラビアータとエビチリは、ほとんど似たような材料なんですよね。
だから、「西洋のアラビアータ」=「東洋のエビチリ」と言ってもいいんじゃないかと思うんですが。
まぁ多少の材料や雰囲気の違いはあるにせよ、味の系統は同じなわけです。
こういうのが成功でいい
ただ、私の中では、こういうのが成功でいいと思うんですよ。
普通は、「アラビアータを作りたかったのに、エビチリしか得られなかった。失敗だ」とか、「やっぱり私は、欲しいものを手に入れられないんだ」みたいに落ち込んだりしやすいものです。
それは、「自分の当初思い描いたイメージ通りになるのが、成功だ」と思い込んでいるからですね。
でも、おいしいエビチリが手に入ったら、それはそれでもいいと思うんですよ。
だって、似たような味だし、むしろ身近な材料で手軽に作れるなら、その方が低コストでおいしく味わえるわけで。
余裕が豊かさを作る
なので、そういう「求めたものとは違うもの」に対する余裕が、新たな発見や豊かさを作りやすいように思います。
そもそも、チャンスとは「今の自分には気づかないところにあるもの」です。
例えば、私たちは「お金」、「地位」、「あこがれの大学や会社」を求めるものです。
それは、すでにその価値に気づいているからですね。
だけど、チャンスというのは、「それ以外のもの」なんですよ。
「こうしたかったのに、つい長くおしゃべりをしてしまって、迷惑をかけちゃった」とか。
「これが大切なのに、ついブログを書いてしまって、いつも遅刻してしまう」とか。
「やたらとこういう無駄な情熱を持って、本業がおろそかになっちゃう」とか。
「一見ではマイナスのもの」に潜むチャンス
そういう、「一見ではマイナスのもの」に、チャンスや価値が潜んでいることもあると。
なら、余裕や遊び心を持って、それに触れられるかどうかですよね。
以前の記事でも触れましたが、「豊かになりたくて、肥沃な大地を求めて旅に出たのに、海にたどり着いた。でも、試しに釣りをしてみると、魚が釣れて豊かになれた」みたいなものです。
そこで、求めていたものとは違うものが得られた時に、それに対して好奇心を持って向き合えるかどうかかな、と思います。
なのに、多くの人が、「すでに気づいている価値」にしか目を向けないわけです。
「お金を得られなきゃ意味がない」とか、「あの地位が手に入らなきゃ意味がない」、「あの大学や会社に入れなきゃ、意味がない」とか。
そうして、チャンスや可能性を逃しているようにも感じます。
まとめ
そんな風に、新たな価値や豊かさ、可能性が欲しい場合、余裕とか遊び心がある方が、うまくいきやすいように感じます。
「求めたものとは違う、新たに得たもの」に対する余裕が、新たな発見や豊かさを得やすい、ということですね。
すると、「これを求めて失敗したけど、結果オーライだった」みたいなことが多くなって、着実に変化や豊かさを作ってゆけるかもしれません。
ということで今日は、「アラビアータを作ろうとしたら、エビチリになった。これが成功でいい」というお話でした。
今日はここまで~。