今日はクリエイティブなお話です。

「見方を変えるだけで、技術が身につきやすくなる」というお話をしてみましょう。

 

美しいコンセプトアート

ちょっとしたツイート画像をご紹介。

いわゆるコンセプトアート(作品コンセプトを模索するためのイラスト)を作る人のイラストなんですが。

コンセプトアートって、これに限らず、なんか「きれいだ」って感じるじゃないですか。

 

コンセプトアートの「認識の仕方」

で、私はずっと、「なんでこんな色使いができるんだ」って、心の片隅で思ってたんですよ。

それが、上記ツイートのスケッチと仕上がりを見て、分かったように感じます。

 

ああいうコンセプトアートは、ものを「輪郭」で認識しているのではなくて、「面と色」で認識していたんですね。

だから、ああいう色使いができるんだと。

 

そして、こういう「ものの見方」が分かると、ぐっと相手のスキルを盗めて、自分も同じようなスキルを得られるように思います。

 

「輪郭ではなく、面と色で認識する」とは?

普通、私たちはものを見るときに、輪郭でものを把握しますよね。

実際に私たちが「絵を描きなさい」と言われると、ほとんどの人が輪郭から描き始めるわけです。

「輪郭を緻密に観察して、輪郭をうまく描いて、それに適切な色を塗る」という発想です。

だから、パースとか、デッサンとか、そういう「輪郭を扱う」という技術があるんですが。

 

一方で、ああいうコンセプトアートを作る人たちは、「面と色」で認識しているように思います。

上記ツイートのスケッチ(左側)を見ると分かりますが、輪郭ではなくて、「面と色」でラフスケッチをしてますよね。

で、色は「面におけるグラデーション」として認識することで、いい光や色の演出ができると。

 

私たちは、「ものの印象」に左右されやすい

私たちって、「ものの印象」や「常識」に多く左右されやすいように思います。

例えば私たちは、「肌の色は?」とか言われると、「肌色でしょ」とか答えますよね。

「肌の色は肌色」というのは、私たちにとっては常識です。

だから、「肌を塗って」と言われると、肌色に近い色鉛筆なり絵の具を探して、それを塗ろうとします。

 

でも、「思い込みや常識」と、「現実のもの」は、まったく違うことがあるわけです。

色なんて、相対的なものでしかありませんからね。

現実では、夕暮れの状態で見る肌の色は「赤」に近いでしょうし、夜の月明かりの下で見る肌の色は「青」に近いかもしれません。

 

実際にアニメでも、夕暮れや夜のシーンで、肌色をスポイトツールで拾ってみるといいでしょう。

びっくりするほど赤だったり、青黒かったりしますから。

でも、周囲がもっと赤だったり、青黒いから、相対的に「肌色だ」と認識できるんですよね。

 

そんな風に、「肌は肌色、葉っぱは緑色」とか思っていても、「環境の中で配置された現実の色」は、まったく違ったりすると。

上記のコンセプトアートだって、ビルを「赤」とか「水色」で描いているんですから。

 

認識の仕方にはコツがある

そういう「ものの見方、認識の仕方にはコツがある」ということです。

実際に、目をうっすらと開けて、ぼんやりと形を認識すると、この感覚が分かるかと思います。

すると、「輪郭」という認識が消えて、世の中を「面と色」で把握できるようになります。

 

で、そこからさらに細かく、特徴的な「面と色」を加えていって、人が「これは人間だ」、「これはビルだ」と認識できるようになるまで詳細にしていくと。

 

そういう「ものの見方」とか「認識のコツ」が分かると、私たちもそういう技術を得やすくなるんですよ。

実際に、私たちもああいう風に面を描いて、色の変化パターンを知ってゆくと、きっとそれなりにきれいな光の演出で描けると思います。

 

日常生活でも、ものの見方を変えてゆこう

そういうコツを、私たちの日常生活でも取り入れてみるといいように思います。

例えば「お金持ちは、どういう認識の仕方をしているのか」、「自由に生きている人は、世の中の出来事をどう見ているのか」ということもあるかもしれません。

 

すると、ものの見方が変わるわけです。

例えば「水道水をろ過してペットボトルに詰めて販売して、大いに売れた」という現実があったとしましょうか。

なら、お金に縁のない人は「詐欺だ。そんなことをすべきじゃない」と認識するかもしれません。

一方で、お金持ちの人は、「困っている人に、より安く安全な飲料水を提供できて、喜んでもらった」と認識するかもしれません。

同じ現実を前にしても、まったく違うものを見ているんですよね。

 

なら、「こうなりたい」と感じる相手の「ものの見方」を知ることで、「その状態の作り方」が盗めるようになると分かります。

そうやって、どんどん相手の技術を盗んで、自分の人生に取り込んでゆくのもいいように思います。

 

まとめ

願いを達成できない場合とか、うまくできない場合、そんな風に「認識の仕方」を疑ってみるのもいいかもしれません。

「技術が悪い」のではなくて、「現実をどう認識しているのか」というレベルで考えるわけですね。

 

もっと分かりやすく言うと、「手の動き」を変えようとするのではなくて、「目や耳」を変えようとする、みたいなイメージです。

コンセプトアートで言うと、「輪郭」でものを見るのではなくて、目をうっすらと開けて「面と色」で認識する、みたいな変革です。

「ルビンの壺」みたいに、見方を変えるわけですね。

 

そういう「目や耳」のバリエーションを持てると、いろんな「現実の認識の仕方」があると分かって、自分を変えやすくなります。

「私の方法論が絶対だ」なんて思い込むことはなくなって、いろいろ試せるようになります。

 

すると、いろんな可能性が認識できるようになって、打開策も見えやすくなるかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「見方を変えるだけで、技術が身につきやすくなる」というお話をしてみました。

今日はここまで~。

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