今日は、クリエイティビティーのお話です。

なぜバスケはドリブルしなきゃいけないのか、という結構どうでもいいお話です。

 

私はチームプレイができない人

私はチームプレイができないタイプなんですよ。

人を指揮することはできても、指揮される側になったり、歯車として動くことができないと。

 

だからこのブログでもよく言ってますが、例えば私が小学校の頃に子供会のソフトボールをしていても、野球のサインが覚えられないんですよね。

監督が「肩を触れば盗塁」、「腕を触れば見送り」とか何度も教えるんですが、その有効性やロジックは理解できても、ひとつひとつのサインを覚えられないと。

なので、小4ぐらいの子からみんなサインを覚えている中で、私だけ小6までずっと、結局ひとつも覚えられなかったという。

ひょっとすると、今でも覚えられないかもしれません(笑

 

いや、「せめて、足を2回たたけば『盗塁』、腕を2回たたけば『バットを振れ』で、他は1回にしてカモフラージュするとか、そういう分かりやすいのにしろよ!」とか、ツッコミを入れたくもなるんですが(笑

まぁ、それをサインと言えるのかは分かりませんが(笑

きっと私は、そういう「合理性のないこと」を理解できないんじゃないかな、と思ったりもします。

 

なぜバスケやサッカーは、ゲームとして生き残ったのか

まぁそんな感じなので、バスケとかサッカーみたいなチームプレイは、だいぶ私からは遠い、理解しがたい世界だったりします。

ただ、私はそういう「理解しがたいこと」に出会うと、つい好奇心で「なぜ人はそうするんだろう?」とか考えちゃうタイプで(笑

 

そういうことの中に、「なぜバスケやサッカーって、ゲームとして生き残ったんだろう?」ということがありました。

特にバスケなんて、「ドリブルしなきゃ、進めない」、「一度でもドリブルをやめると、パスをしなければならない」みたいな、とんでもなく意味不明なルールじゃないですか。

 

だいたい、ドリブルなんて、実用性皆無でしょ(笑

実生活で何一つ役に立たないのに、わざわざそういうルールを設定してゲームをしているわけです。

サッカーでもそうで、「なんで足しか使っちゃダメなんだ」とツッコミを入れたくなるわけです。

 

その土地の個性に合わせて、身体を動かせる

で、ふとその理由を考えると、「その土地の個性に合わせて、思い切り身体を動かしてスポーツできるようにするためなんだな」、と感じたりもします。

ほら、バスケって、都会のダウンタウンでやっているイメージじゃないですか。

高架道路の下とか、狭い公園の端っことか、そういう場所でゴールネットを置いて、中学~高校生ぐらいの若者がやっているイメージで。

 

これは、都会で自由に使える土地が狭いから、狭いなりに工夫して、それで身体を思い切り動かせるようにした工夫なんだろうと思います。

ドリブルをすることで、動く範囲を狭くできるし、足だけでなく腕も動かせるわけです。

で、「一度ドリブルをやめると、パスをしなきゃいけない」みたいなルールを追加することで、ボールを持っていない人も、ダッシュで走らなきゃいけなくて。

だから、ボールを持っていようが持っていまいが、強烈な運動量にできると。

 

すると、狭い土地でも全員が思いきり身体を動かせて、すっきりできるわけです。

これって、工夫ですよね。

 

サッカーの工夫、野球の工夫

一方で、アフリカとか南米みたいに、岩石質の平野が多くある場所では、そんな工夫は必要ありません。

だから、ゴールを適当に作って、ボールひとつでできるサッカーがあれば、思い切り走れると。

こういう場合、変に手を使うと、動きが止まってしまいます。

だから、むしろ「足だけ使う」と制限する方が、思い切り走り続けられるようになります。

 

で、中には運動が苦手な子もいるので、そういう子にはゴールキーパーをさせたりディフェンスをさせて運動量を抑えると、ちょうどよくなると分かります。

これも、土地に合わせた工夫ですよね。

 

それとか、例えば野球の場合、これは「運動を楽しむ」というよりも、「みんなで余暇を楽しむ」という意味合いが強いように感じます。

それは、実際に動いているのは、ピッチャーとバッターだけですからね。

おそらく、開拓者が休憩時間にでも、「木の根っこでも縛って丸めて投げて、棒きれで打てば、なんかいい暇つぶしになる」的なノリでできたんじゃないかと思うんですが。

 

自分の環境に応用する

そういう風に考えると、「スポーツのルールって、考えられているな!」と感じますよね。

それは、その土地の個性とか、自分たちの目的に合わせて、うまくルールを設定しているからで。

 

裏を返すと、こういう発想を応用できれば、自分独自の環境を利用して、いろんな発想ができそうだと分かります。

すると、スポーツだけでなく、自分がはまっていることに対しても、自分の環境なりの進化をさせるかなと思います。

 

例えば私の場合は、最近は水耕栽培にはまっています。

なら、土地が狭くても、「どれだけ密集させた上で、単位面積あたりに効率よく野菜を作れるか」みたいなことを目指すと、面白くなるわけです。

太陽が当たらない場所なら、「どれだけ少ない太陽光で、うまく作れるか」とか、「どれだけ太陽光を増やすか」とか、いろいろ考えられるでしょう。

そうやって、自分の個性に合わせて、工夫をして満たしていくと。

 

まとめ

なので、そういう風に個性とクリエイティビティーを考えると、いろいろと自分にも応用できそうに感じます。

バスケとか、無意味なように見えて、とてもいいメカニズムですよね。

 

こういう個性に合わせた進化ができると、いろいろと面白く進化できるかな、と思ったりもします。

 

ということで今日は、「なぜバスケはドリブルしなきゃいけないのか」というお話でした。

今日はここまで~。

この記事をシェア:
Share