今日は、価値観についての雑記です。
「価値を見抜ける力」って大切だな、ということについて、つらつらと書いてみましょうか。
「価値を見抜ける力」は大切だな、と思う毎日
最近はずっと、金融とか、世の中の仕組みについて学んでいるんですよ。
で、こういうのを学んでいると、「価値を見抜ける力」って大切だな、と思ったりもします。
というのも、例えば何か買い物をする場合でも、価値があるものを買えるほど、自分の人生はよくなってゆきますよね。
先日の記事でも触れましたが、買い物って「交換」とも言えます。
なら、「お金の額面以上に、自分にとって豊かさをもたらすもの」と交換できると、自分の豊かさがどんどん増えていくと分かります。
価値観のズレに目を向けよう
その上で、人々には価値観にズレがあることに目を向けます。
すると、「他者にとってはどうでもいいもの」なんて、世の中に山のようにあふれていると分かります。
「他者にとってのゴミ」なんて、いくらでもあるんですから。
で、その「他者にとってのゴミ」の中から、「私たちにとって価値あるもの」を選んで交換するだけで、飛躍的に豊かさを高められそうですよね。
同様に、「他者にとっては価値あるもの」だけど、「私たちにとってはどうでもいいもの」をお金として交換をすれば、どんどんお金も入ってきそうだと分かります。
そうやって、「得る、与える」という交換で、豊かさを増やしてゆくこともできると。
ゴミに着目しよう
イメージで言うなら、粗大ゴミ置き場から、自分の欲しかった家具を手に入れて、手直しして使うようなものです。
この場合、ひょっとすると周囲は、それに対して「みっともない」とか「元はゴミだろう」と言うかもしれません。
もしくは、自分にとってのゴミを、他者に売るようなものです。
その場合、自分の中で「こんなのを売るなんて、みっともない」、「こんなのゴミだろう」と感じるかもしれません。
でも、その「価値観のズレ」が重要になるわけです。
ゴミとは「その人には使えない」だけ
実際に、一度「いったい何がゴミなのか」と自分に問いかけてみるといいでしょう。
すると、それはただ単純に、「その人には使えない」というだけだと分かります。
つまり、「ゴミだ」と言う人は、「私には、それを使いこなす能力がありません」と言っているに過ぎません。
能力がある人、価値を見いだせる人には、世の中から「ゴミ」は減るんですから。
「お前は社会のゴミだ」と言われたとしても、「私はゴミだ」と思ったとしても、それは正確な表現ではないように思います。
それはただ単純に、「その人には使いこなせなかった」、「私が自分の素質に気がついていない」だけです。
同様に、それを使いこなせる人にとっては、「お宝だ!」と涙を流して欲するし、喜んでくれる、ということです。
まとめ
そんな風に、価値についてちょっと見直してみるのもいいように思います。
「豊かになりたい」とか「自分はゴミだ」と言うけれども、何が価値で、何が無価値なのか、ということです。
で、お金の使い方だって、同じです。
「自分にとって、幸せをもたらす価値あるもの」と、「お金の額面」を比べて交換することですよね。
「高価だから」とか「割引されているから」という「周囲の価値観や、原価の値段」ではありません。
「自分の人生における位置づけ」とか、「こういう人たちの人生における位置づけ」で考えると。
そういう感覚を持てると、お金でも活動でも、交換すればするほど豊かになれそうに思います。
そして、交換には「買う、得る」だけでなく、「売る、与える、手放す」もありますからね。
そんな多彩な手段を使って交換して、豊かさを作るのもいいように思います。
ということで今日は、「価値を見抜ける力」って大切だな、と思う雑記でした。
今日はここまで~。