今日は、未来についてのお話です。
おそらくですが、今日から2~3記事で、「未来に向けて、こういう準備をしておくのもよさそう」という内容をお話してみようかと思います。
社会から一歩引いて全体を見てみると、いろいろ気づくこともあるんですよね。
そのために、今日はその前振りとして、タイミングについてのお話をしてみましょう。
私が「タイミング次第で価値が大きく変わる」と痛感した過去話についてです。
小学校高学年の野外活動でのお話
私はリスク対策とか、安全を重視して行動するのが好きなんですよ。
そして、もし未来に大きなクラッシュが予測できるならば、少し目先の損をしたとしても、対策をしておくタイプだったり。
もちろん無駄になった対策もありますが、うまくいった対策もあって。
それで今日は、その中でも幼い頃に「今、少しお腹がすいていても、損を覚悟で対策しておく方がいいこともある」って痛感した出来事のお話です。
小学生の頃、野外活動ってあったじゃないですか。
バスでどこかの高原にでも行って、班になって野外炊飯をしたり、山を歩いたり、何か工作をする、みたいな。
で、私が小学校高学年の頃だと思うんですが、そういう野外活動で、「班のメンバーで食材を買ってきて、持ち寄って、野外活動で料理を作る」っていう内容の授業がありました。
それは、「材料一覧を元に、一人一人がスーパーで何を買ってくるのかを決めて、実際にスーパーで品物を買ってきて、お金も均等割して分担する」みたいな内容で。
まぁ小学生高学年なので、そういう「計画をして、買い物をして、行動する」という訓練だったんでしょう。
で、作る料理はおでんで、これも「材料を切って、先生が配るだし汁と一緒に鍋に入れれば、食べられる」という、小学生高学年にでもできそうな簡単なものでした。
それに、おでんだと、焦げ付く心配もないし、少々ゆですぎても食べられますからね。
「材料が多いぞ、どうしよう」問題
ただ、私たちの班員で一人、直前になって病気になってしまって、参加できなくなった子が出たんですよ。
それで買ってくる食材を再び割り振る必要ができて、ばたばたして混乱して、ミスが起きたんでしょう。
その後にバスで野外活動に向かって、いざ料理の段階になって、そのミスにようやく気がつきます。
それは、「材料のはんぺん(豆腐みたいな形の魚のすり身)だけが、4~5倍ぐらい多くそろってしまった」という問題でした。
小学生なので、当然みんな「量が多いな」と分かりつつ、先生の指示に従って開封して、切らなきゃいけないわけです。
で、鍋に入れる段階まで来ても、他の班と見比べてみて、「やっぱりこれだいぶ量が多いぞ。どうしよう」と、みんなで少しうろたえて。
食べ始めた直後の判断が、運命の分かれ目
それで「じゃあ、食べましょう」となった段階での行動で、命運が分かれたんですよね。
私はきっと、幼い頃からそういう「未来のリスクは、早めに対処する」というスタイルだったんでしょう。
「これは明らかにやばい。早めに対処しなきゃ」と感じて、すぐに動き出します。
それは、煮えたはんぺんを鍋から取り出して、クラスでも一番大食らいな子から順に、「これ食べない?」と言って配って回った、ということです。
だいたい小学校の給食では、みんな均等配分なので、体格が大きい子はいつも「給食は少し足りない」っていう状態でしょ。
そしてそういう子はおかわりをよくするので、誰が大食らいな子かってことは、分かっているわけです。
だから、そういう子から順に配って回ったと。
すると、そういう子ほど「いつも足りない」と感じているので、「サンキュー!」と喜んで受け取ってくれて、食べてくれました。
目先を我慢してでも、早めにやらなきゃいけないこと
で、これはできるだけ早めにやらないといけないことです。
だって、時間が経てば経つほど、みんな食べてお腹いっぱいになっちゃいますからね。
私もすっごいお腹がすいていて、食べたいんですよ。
それでも、みんながおいしそうに食べている中で、鍋からはんぺんを取り出して、必要に応じて少し細かく切って、「これ食べない?」と配って回ったと。
実際に他の班員も、「どうして食べないの?」と不思議顔で私を見つつ、自分の食欲を満たして食べていました。
そして、4人ぐらいに配って、「後は自分だけでも十分食べきれるだろう」と分かって、自分に割り当てられたはんぺんをさばききります。
で、食事の席に戻ると、周囲が「何してたの?」と訊いてきたので、「はんぺんが多そうだから、先に配ってきた」と伝えます。
すると、男子の一人がその意味を理解したのか、すぐに立ち上がり、私のまねをして配り始めました。
すでに少しずつみんな食欲が満たされてきていたので、私が「細かく切ってから渡すといいよ」と伝えて、その子も無事さばききります。
で、私はようやく食事にありつけて、おいしく食べられたと。
残った地獄
でも、私ともう一人の男子を除いて、残った班員には地獄が待っていたんですよ。
というのも、大量のはんぺんが残って、どうしようもなくなったからですね。
そして、自分たちだけではとうてい食べきれないわけです。
でも、配ろうとしても、周囲もみんなお腹いっぱいなので、誰も受け取ってくれなくて。
それどころか、はんぺんに限っては水を吸うとどんどん大きくなって、最後には最初に入れたおでんの具材よりも多くの分量になるほど膨張して。
だからもう、鍋に膨張したはんぺんだけが山のように残って、ビジュアル的にもきっついわけです(笑
それに少し古い田舎の小学校だと、「給食は残したらいけない」っていう絶対ルールがありましたよね。
実際に私が過ごしてきた今までのクラスでも、口に入れて食べようと努力して、何度もはき出して、放課後になっても残っている皿を前に、もう涙も涸れて絶望していた子がいたりして。
ちなみに私はある種の狡猾さを持っていたので、「食べられないものは、ハンカチに包んで、そっと鞄の中に隠す」ということができて、しのげていました。
もちろん私の場合、それもすごい罪の意識で苦しむことなんですが、なんとか私はそれができるラインにいました。
でも、そういうことが本当にできない子もいて、そういう子にとっては、そんな「食べきれない」のは地獄を意味します。
タイミング次第で、価値が大きく変わる
みんなもそんな現実を何度も目の当たりにしているので、「自分の分を食べきれない」という子たちは震え上がるわけです。
で、食べようとしてももはや満腹で食べられませんし、それ以上に山のようにふくれあがったはんぺんのビジュアルが、もう絶望でしかないと。
当然私も助力したいんですが、当然限界もあるし、焼け石に水でしかなくて。
それで班員の女子はみんな泣き出すし、男子で配らなかった子も顔を青ざめさせて、阿鼻叫喚の地獄になってしまったと。
これが、「タイミング次第で、価値が大きく変わる」感じた、大きな経験だったように思います。
食事が始まった直後であれば、大食らいな子は「サンキュー!」と喜んで受け取ってくれます。
でも、みんなが満腹になった後では、どんなに頭を下げても受け取ってくれないと。
その間、5~10分程度でしかありません。
すなわち、「今、お腹がすいていても、周囲から変な目で見られても、損を覚悟で対策しておく方がいいこともある」ということですね。
まとめ
なので、物事にはタイミングというものがあるんですよね。
そして、「みんなが受け取ってくれる時でないと、処分できないこと」とか、「みんなが余裕の時でないと、入手できないもの」があるわけです。
私の感覚からすると、今の世の中を見渡すと、長期的にもその「変化のタイミング」が近づいてきているように感じます。
で、この変化に気づけるかどうかで、「助かるか、地獄に落ちるか」が変わるリスクもありそうに感じます。
今は、どんどん変化している時代ですからね。
まぁその内容については長くなるので、また次か、次の次ぐらいの記事でお話ししてみましょう。
ちなみに残ったはんぺんは、おそらく先生に言って処分してもらったんだろうと思います。
食べきれなかった子たちが先生の元に申し出たので、私はどういう始末をしたのかは分かりませんが。
でも、その後は班員も気を取り直して遊んでいたので、大事にはならなかったように感じます。
いやほんと、小学生の頃とはいえ、こういうのは心臓に悪い経験というか、トラウマになりやすいから冷や汗ものですよね(笑
ということで今日は、「タイミング次第で価値が大きく変わる」と痛感した過去話についてのお話でした。
たぶん、明日の記事にも続きます。
今日はここまで~。