今日は、少し作家向けのお話をしてみましょう。

なぜ漫画では「主人公はイケメンでないといけない」という法則ができるのかについて、語ってみましょう。

 

主人公をイケメンにしたくない!

先日、こういう悩みの相談をいただいたのでご紹介。

自分が漫画を描けない理由はそれこそ色々あるのですが、特に悩んでいるのが「主人公」についてです。(中略)

自分は少年漫画やラノベのような「冴えない設定だけど作画上はイケメン」というのが出来ない・したくない・嫌いという有様です。

そのため本当に冴えなくてダメそうな「主人公に見えない主人公」に描くのですが、そのせいで余計に誰にも読まれない不安に駆られたり(中略)

(出版社に持ち込んでいた頃、編集者に「気持ちは分かるけど主人公はイケメンじゃないと売れない」と言われたこともあったので…)

 

内容を簡単に言うと、「主人公はダサいタイプにしたい。だけど世の中では、主人公はイケメンであることを望む。どうしたらいいんだ!」ということですね。

それで質問者さんは、「なぜダサいタイプにしたいのか」と深く考えて、「自分を癒やしたいから」、「そんな自分本位な作品を出していいのか」と悩んでいると。

 

主人公は、自分に合わせる方が作りやすい

こういうことって、クリエイターの方なら結構分かるんじゃないかと思います。

主人公の性格って、自分に合わせる方が感情移入しやすいですよね。

特に、「こういう感情を表現したい」という強い表現欲求を持つ場合、自分に合わせる方が、より深くのめり込めるし、作るモチベーションが生まれるものです。

 

そういう場合、主人公は何らかの「大きな欠点による、強い劣等感」を持つものです。

外見が悪かったり、精神的に屈折していたり、悩み傷つきやすかったり。

作者はそんな主人公に共感することで、主人公を通して自分を癒やせるし、それが作る原動力にもなると。

 

世の中はイケメンを望む

一方で、質問者さんの言うように、世の中では「さえない設定だけど、作画ではイケメン」を望むことが多いですよね。

特に漫画では、見た目の影響が強く出るので、主人公はイケメン(女性主人公の場合は美少女)になりやすいものです。

すると、「読み手が喜ぶような、イケメン主人公にはしたくない。ダサくしたいのに!」と感じてしまって、苦しみやすいように思います。

 

じゃあなぜ世の中は「イケメンの主人公」を求めるのか、今日はその心理的な原理を説明してみようかと思います。

この原理が分かると、「ダサい主人公にして、作者が主人公に感情移入すること」と、「読み手が望む、イケメンの主人公にすること」は両立できると分かるかと思います。

 

主人公はイケメンである必要はない

まず最初に言っておくと、主人公はイケメンである必要はありません

主人公は、「誰がどう見てもダサい」という姿でもかまいません。

 

その場合、恋人役を美少女もしくは美男子にすれば、釣り合いは取れます

「美女と野獣」、「異形と美少女」、「オタクとアイドル」みたいな感じで、両者にアンバランスさを作れば、「この二人がどう結びつくんだろう」と感じて、面白くなるものです。

 

実際にそういう物語って、多いでしょ。

だから、主人公がダサいままでも物語は成り立ちます。

 

それでも「作画ではイケメン」になる理由

とはいえ、それでも主人公は「さえない設定だけど、作画ではイケメン(もしくは美少女)」になることが多いものです。

これは、物語においての「物語の結末も含めて考えた、象徴としての主人公」を考えると分かります。

 

「ダサい系の主人公」というのは、最初は何らかの内面的な問題を抱えているものです。

そんな中、何らかの出来事があって、物語が進んでゆき、その内面的な問題を解決してゆきます。

で、最後には主人公は自分の内面的な問題を解決して、成長を遂げると。

 

その場合、ラストでは「象徴としての、主人公が格好良くなる変化」が演出されます。

これを分かりやすく言うと、「ダサい主人公が、物語を通して内面の問題を解決すると、最後には本来の魅力が発揮されて、輝いて見えるようになる」ということです。

 

「内面の問題を解決すると、魅力的になる」という演出

確かに冒頭では、主人公は周囲から嫌われたり、見下されたり、憎まれたり、疎(うと)まれたりするでしょう。

でも、ラストでは、主人公は少なくとも周囲の味方からは好かれて、尊敬される状態になると。

そうやって「内面の問題をすべて解決すると、魅力的になるよ」ということを伝えるわけですね。

その象徴としての「主人公がイケメン(美少女)になりうる」という設定です。

 

つまりこれは、「ストーリーを完結まで考えているか」と、「伏線の能力」だと言えます。

ストーリーを完結まで構成して、主人公がどう最後に魅力を発揮するのかまでを考えているならば、「主人公には、主人公が気づいていない、魅力を発揮する素質がある」と設定に加えられます。

特に漫画では、視覚的な表現が使われるので、象徴として「ずっとダサかった主人公が、輝いて見えるようになる」という演出が使われやすくなります。

 

また、そういう結末で輝くことを、伏線として配置する必要もありますよね。

ならば、最初の方で「主人公はダサいけど、ラストでは輝きうる」ということを、伏線として示す必要があると。

だから、漫画ではそのために、最初の方で「イケメンになる素質がある」と読み手に示します。

それを一言で言うと、「さえない設定だけど、作画ではイケメン(もしくは美少女)」ということです。

 

「異世界おじさん」の例

なので、ダサい主人公でいいわけです。

「ダサい主人公にして、作者が感情移入したい」と、「読み手が望む、イケメンの主人公」は両立します。

 

こういう主人公のいい例があるので、ご紹介しておきましょう。

異世界おじさん」という漫画があるんですが、これがまさにそういう「ダサいけど、ラストでは輝きうる伏線を入れた主人公」ですね。

この作品、私は大好きなんですが。

 

効果的な伏線

この作品を見ると、おじさんはもうひっどい外見だし、内面的な問題も抱えまくりなわけです(笑

でも、第2話の後半で、一瞬だけおじさんが格好良く見える瞬間があるんですよ。

その部分が、「おじさんが内面の問題を解決したら、最終的に魅力が輝く人になる」という伏線です。

それを視覚的に分かりやすく伝えるために、実際におじさんが少しイケメンに描かれていると。

 

なので、第2話のあのイケメンになるおじさんのコマを見た瞬間、私なんか大興奮でしたからね(笑

「このおじさんは、ダサいけど、物語のラストでは格好良く輝きうる」と分かるんですから。

すると、「どうやって輝いていくんだろう」と期待して、次も読みたくなると。

 

まとめ

なので、「ダサい主人公にして、作者が主人公に感情移入すること」と、「読み手が望む、イケメンの主人公」は両立できます。

ある意味、これは「ストーリーを完結まで考えているか」と、「伏線の能力」だと言えるでしょう。

物語の冒頭しか考えていないから、「ダサい主人公でなきゃ、感情移入できない」と思い込んでいるだけです。

 

言うなれば、物語の冒頭設定しか考えていないから、質問者さんは自分の作品を「自分本位な作品」と感じるんじゃないでしょうか。

物語の結末までも含めて考えると、それって立派な「他人も満足する作品」ですよね。

 

なら、「主人公が、最後に輝く要素」を入れることが主人公を救うことになるし、同時に書き手の内面も癒やせます。

質問者さんの感じる「自分本位な作品でしかない」という観念は、そういう「結末まで構成できていない」という部分に起因するように感じます。

ある意味、「自分のコンプレックスを、どうやって救えばいいのか分からないまま、主人公に当てはめて物語を作ろうとしている」という部分が問題なのかなと。

 

おそらく編集者は、そういう全体像を感覚で理解しているので、「さえない設定だけど、作画ではイケメンがいい」という伝え方をしたんじゃないかな、と思います。

これが分かると、人物もストーリーもうまく構成できるかもしれません。

 

ということで今日は、なぜ漫画では「主人公はイケメンでないといけない」という法則ができるのかについて、語ってみました。

今日はここまで~。

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