今日は結構どうでもいい日記です。
もも肉だと思っていたのが、ひきすじ肉だったと判明して、「でもまぁ楽しめたからいいか」と感じたことのお話です。
「値段」と「実体価値」の違い
最近の私は「ものの価値」についても興味あるんですが、ものの価値には「値段」と「実体価値」があるんですよ。
値段とは、人が決めてつけたもので、買う時に必要なお金の量ですね。
一方で実体価値とは、実際に自分にとってどれぐらいの価値があるのか、という価値そのものです。
だから「値段が高ければ、自分にとって価値が高い」というわけではなくて、値段と実体価値は食い違うこともあります。
「値段が高いけど、自分にとっては無価値だ」というものもあるし、「値段は安いけど、自分にとっては値段以上に価値がある」というものもあると。
「値段が安く、実体価値が高いもの」ほど、豊かさが増える
なら、「値段が安いもので、実体価値が高いもの」を手に入れるほど、豊かさが増えますよね。
特に値段なんて、「大多数の人が感じる価値」でしかありません。
だから個性がある人ほど価値観が違いやすいので、値段と実体価値の食い違いが大きくなって、豊かさを作りやすいわけです。
つまり、個性がある人ほど、「自分の価値観を知り、物を見る目を持つほど、豊かになれる」ということです。
で、最近私は、少し面白い経験をしたんですよ。
それが、黒毛和牛のもも肉だと思っていたのが、ひきすじ肉だったと判明して、「でもまぁ楽しめたからいいか」と感じたことです。
黒毛和牛が安く売ってた!
私は数年前から、お肉を買う場合はスーパーで買うのではなく、通販で業者向けの大容量のものを買ってます。
それで小分けに切っておいて、大容量の冷凍庫で保管しておいて、少しずつ使うと。
この方がだいぶ安上がりだし、買い物の頻度も減らせていいんですよね。
まぁ長時間停電が起こったら一発でアウトなので、これからのエネルギー問題を抱える時代では、こういうスタイルは合わなくなってゆくだろうとは思いますが。
で、少し前に、牛肉がだいぶ安く出ていたんですよ。
それも、普通の牛肉ではなくて、「黒毛和牛のもも肉の端切(はぎ)れ」ですからね!
黒毛和牛なんて食べたことがない上に、それが海外産の牛肉よりも安いということで、ちょっと大容量でしたが買ってみたわけです。
黒毛和牛、すごすぎる!
すると、これがすっごいおいしくて、脂(あぶら)が甘く感じられて、「これが黒毛和牛か、すごすぎる!」と感動したんですが。
まぁ確かに脂身がやたらと多かったので、「だから安いのかな」と自分なりに納得していたわけです。
普通の感覚だと、脂身が多いと、ぎとぎとに感じて嫌になりますからね。
ただ、例えば霜降り肉とかは、脂身の比率が多いわけで。
そして私も、脂身はかなり好きな側で。
なら、「これは霜降り肉だと思えば、むしろ安く高級感を味わえて最高じゃないか!」と、喜んで食べていたんですが。
端切れというよりかは、ひきすじ肉だった
で、最近になって、その商品ページのタイトルが変わったんですよ。
それが、「黒毛和牛もも肉の端切れ」から、「黒毛和牛ひきすじ肉」になったと。
すじ肉ってのは、まぁ文字通り筋(すじ)で、煮込み料理ぐらいでしか使えないような、使い勝手の悪い部分です。
ただ、「ひきすじ肉」は、普通のすじ肉とは違って、「固いけど、すじ肉よりかはだいぶ柔らかいし、赤身もついているしで、普通に料理しても十分に味わえる部分」ですね。
ひきすじ肉は「端切れ」でも間違いではないんですが、きっといろいろあって修正したんだろうと思います。
どうりでかみ切れないわけだ!
それで、ようやく気がついたんですよ。
「ああ、これはすじ肉だったんだ。どうりでかみ切れないほど固いわけだ!」みたいな(笑
いや、それまでの私は黒毛和牛の脂の甘さに感動しまくりで、お肉の固さに全然違和感を感じなかったんですよ(笑
「言われてみれば、確かにお肉とは思えないほどかみ切れないぞ」みたいな(笑
だから黒毛和牛なのに、それほど安かったわけですね。
すじ肉を喜んで食べることは、だまされて不幸なことなのか?
で、普通はこういうときって「だまされた!」と感じるものかと思います。
実際に私も、最初は「だまされた!」と感じたんですよ。
でも、すぐに「これは不幸なことなんだろうか?」と感じたわけです。
実際に黒毛和牛だったし、脂も甘くておいしかったし、霜降り気分も味わえて、「この値段なら、また次も買おう」と大満足な状態で。
それに、確かに固かったんですが、だからこそいろいろ工夫して楽しめていたんですよ。
ひき肉にして肉団子やハンバーグにしてみたり、薄切りにして焼いてみたり、タレにつけ込んでみたり。
私はそういう工夫が大好きですからね。
先日にコロッケを作ったのも、そういう背景があったからです(笑
実体価値でものを考える
なら、私にとっての実体価値は、値段に比べてもとても高いものだったと分かります。
実際にかなり安い価格で黒毛和牛を味わえたし、工夫も楽しめたわけで。
普通の人は「固くて脂身ばかりで嫌だ。こんなのいらない」と感じるところを、私の個性では「それが最高なんだよ!」になると。
私の中で変わったのは、「端切れ肉」から「ひきすじ肉」に名称が変わっただけで。
それに、もし最初から「ひきすじ肉」という表記だったら、私は買わなかったようにも思います。
私は「ひきすじ肉」と「すじ肉」の違いも知らなかったし、ひきすじ肉がここまでおいしいとも知りませんでしたからね。
なら、「楽しめたからいいや」と納得できたという。
むしろ、「この値段なら、次もまた買おう」と思ってますから(笑
まとめ
そういう「価格と実際の価値」を見抜けると、満足に対してしっかりとした基準ではかれるように思います。
ひょっとすると、他の人は「あの人はすじ肉しか食べられなくて、みすぼらしい」と言うかもしれません。
でも、私にとっては「黒毛和牛のひきすじ肉って、おいしいし、料理のしがいもあって、最高じゃない!」となると。
こうやって、いろんな「実体価値の高いもの」を選んで楽しんでゆくと。
もちろん「値段が高くて、実体価値も高いもの」もありますが、「値段が安いのに、実体価値は高いもの」も多いわけです。
そんな風に実体価値を見抜けると、見栄を手放せて、実際の豊かさをどんどん増やせそうに感じたりもします。
ということで今日は、もも肉だと思っていたのが、ひきすじ肉だったと判明して、「でもまぁ楽しめたからいいか」と感じたことのお話でした。
今日はここまで~。