今日は、クリエイティブなお話です。
「正反対の手段も、ものの見方次第で使いうる」というお話をしてみましょう。
正反対の手段も、ものの見方次第で使いうる
私は、いろんな手段を持っていたい人なんですよ。
いろんな手段があるほど実現可能性が高まるし、希望も持てますからね。
で、いろんな手段を得るためのコツとして、「正反対の手段も、ものの見方次第で使いうる」ということがあるように思います。
これが分かると、少なくとも手段は単純に2倍以上になるので、選択肢の幅が広がるかと思います。
実のところ、正反対の手段でも、目的を実現できることが多いんですよね。
なので以下で、その考え方を例でいくつか紹介してみようかと思います。
「私を理解して欲しい」という欲求の場合
例えば、「誰か、私を理解して欲しい。誰か、私を認めて」という欲求があったとしましょうか。
その場合、正反対の手段は「誰かを理解してあげる。誰かを認めてあげる」ということになります。
すると、実はそれも「理解して欲しい」という欲求に対して、効果があると分かります。
というのも、「理解して欲しい」というのは、より正確に言うと「同じ喜びや苦しみを共感できる、そんな同類がいなくてさみしい」ということです。
なら、そういう同士を見つけて理解してあげることで、同じ喜びや苦しみを共感できると。
すると、孤独感も消えるし、「そういう人を助けたい」と思えば、自分で「なぜ私たちが認められるのか」という理由を探すなり作って得られます。
結果として、「理解して欲しい。認めて欲しい」という欲求を実現できると分かります。
「親に幸せになって欲しい」という欲求の場合
他の例で言うと、親に幸せになってもらいたくて、自分をすり減らすほど尽くしていたとしましょうか。
それは、言うなれば「自分が命を捧げて、親を助けることが、親の幸せになる」と思っているからです。
その場合、正反対の手段は、「自分は何も助けず、親のことは親にさせてあげる」となるでしょう。
で、これも「親の幸せになる」と分かります。
というのも、私たちが親を助けないことで、親は自力で自分の幸せを見つけられるようになります。
もしくは、離れることで、「良心で助けてくれる相手に、愚痴を言っていたり、批判をしていると、嫌われる」と学習できるかもしれません。
すると、それは親にとっては目先では確かに痛いことかもしれませんが、長期的には「良心で助けてくれた相手には、心から感謝するといい」と学べます。
そういう学びがあると分かると、「あえて助けない」というのも一つの手段だと分かります。
「旅行をしたい」などの場合
それとか、「スペインに旅行をしたい」という欲求があったとしましょうか。
そして、スペイン料理を思う存分楽しみたいと。
だけど、お金がなかったり、時間がなかったりするわけです。
その場合、正反対の手段として、「自分が動かず、相手側に来てもらう」ことも一つの手段だと分かります。
この場合、「スペイン料理を楽しみたい」ということなので、通販とか人脈、スーパー、料理人、レストランなどを駆使して、スペイン料理に「できるだけ身近に来てもらう」わけですね。
これは、「自分は何が欲しいのか」を明快に抽出できるほど、低コストで欲しいものを得られるでしょう。
ビジネスでも同じで、「一生懸命働く」がしんどい場合、「一生懸命働かない」も一つの手段でしょう。
すると、「自分のコアを見つけて、自分はそのコアとなる部分に集中しよう。不要な部分は全部外注するか、せずにすむスタイルにしよう」とかできるかもしれません。
他にも、「自分が作業しなくてもいいように、自動で販売する自販機とか、販売システムを作っておこう」とできるかもしれません。
機械やAI、新技術を導入することで、効率化ができるかもしれません。
まとめ
そんな風に、「正反対の手段」も実は有効になることが多いと分かるかと思います。
そのために必要なのは、目的や欲求をしっかりと把握することですね。
「自分は、本当は何が欲しいんだろう?」、「自分は、本当は何を与えたいんだろう?」
そういうものを把握できるほど、正反対の手段が有効になりやすくなります。
だいたい、「しんどい状況」って、「今の方法論ではうまくいかない状況」ですからね。
そういう状況を突破するのは、斜め上の発想だったり、正反対の手段だったりするんですよ。
すると、「今の手段に固執することはない。むしろ、正反対の方が都合がよさそう」と、突破口が見えるかもしれません。
ということで今日は、「正反対の手段も、ものの見方次第で使いうる」というお話でした。
今日はここまで~。