今日は、こだわりについてのお話です。
本物は、見えないところにも力を入れている、と感じた出来事について、お話ししてみましょう。
ゴージャスなひな人形が、「これは安物だ」と分かった出来事
ここ最近は、ずっと片付けをしています。
まあ、今まで制作ばっかりでしたからね。
1~2ヶ月ぐらい片付けに没頭するとか、人生にはそういう時期があってもいいような気がします。
それに、片付けを通して人の人生が見えてきたり、生き方について考えさせられることも多いですしね。
で、一昨日の記事で、「家にゴージャスなひな人形がある」って言ったじゃないですか。
これは本当に見た目にすごくて、大きなガラスケースに入れられて、ひな壇からぼんぼり、人形も勢揃いなんですよ。
だから、「これ、ヤフオクにでも売れば、高く売れるんじゃないの?」とか思っていて、どうするか悩んでいたんですよね。
でも結局、「出品するのも面倒だし、いいや」と、処分することにしたんですよ。
そして処分をし始めると、「ああ、ヤフオクに出さなくて正解だったな」とすぐに分かったり。
なぜかというと、「これは安物だ」と分かったからですね。
じゃあ、なぜすぐに「これは安物だ」と分かったのか。
それが、「見えない部分が手抜きをされている」ってことですね。
例えばひな壇とか、発泡スチロールに布を当てているだけだったり、飾りもプラスチック製だったり、よくよく見ると、人形もひな壇にのり付けされていたりと、手抜きなんですよ。
遠くから見たら気づかなかったんですが、実際に分解して触ってみると、もうクオリティの低さは歴然で。
いわゆる、見栄えだけはすごいのに、中身はスカスカだったと。
「そういや、これを買った故人は、見栄を張る人だったな」と思って、「これは見栄えだけの安物だ」と分かったわけです。
本物は、「見えないところ」にもこだわる
本物かどうかというのは、こういう「見えないところ」に現れるように思います。
いわゆる、「作り手がそれを好きで作っているかどうか」ということです。
本当にひな人形作りが好きな人は、そんな場所に手を抜いたりしませんからね。
私だって、プロットを作る場合、「この部分は見えないからいいや」なんて発想はしませんからね。
好きで作っていたら、逆に見えない部分にこそ、しっかりと意識を向けるようになります。
例えばガンダムのプラモデルで塗装をするのが好きな人って、飾って隠れるような場所でも、念入りに塗装をするものですよね。
なぜかというと、「塗装そのもの」が好きだからですね。
そこに、「この部分は、この角度から見れば隠れるから、塗らなくていいや」なんて妥協をすることはないんですよ。
好きで、完璧に仕上げてゆくわけです。
他にも、例えばバッグで言うと、「コバ」という皮の切断面部分って、これは使い手からは見えにくい部分なんですよ。
だから、この仕上がり具合で、高級品かまがい物かが分かる、みたいな部分なんですが。
バッグ作りが大好きな人の場合、それこそこういう場所にまで好きでこだわってしまうわけです。
登山が好きな人は、好きで良質な登山道具を使うものですし、漫画が好きな人は、好きで良質な道具や資料をそろえて、自分の作品をよくしていくものです。
逆に、それを好きでない人で、見栄とかお金目的でやっている人ほど、「見えない部分ほど、手抜きでいいや」となってしまうと。
だから、見えない部分を見れば、その人が好きでやっているかどうかがすぐに分かるんですよ。
同時に、その作品が本物かまがい物か、その人が将来飛躍する人か、落ちてゆく人かが分かると。
まとめ
なので、本物かどうかを見抜きたければ、ぱっと見では見えない部分を見る癖をつけるといいでしょう。
ほら、会社とかでも、「その会社の素顔を知りたければ、玄関の綺麗さだけでなく、トイレが綺麗かどうかを見なさい」って言いますよね。
それと同じです。
すると、作品でも人でも、中身がすぐに分かることでしょう。
いや~、片付けからいろんなことを学んでいたりします。
「人の家の片付けをする」とか、滅多に体験できることではないと思うんですよ。
人が使っていたものを見ると、人の本質が見えてきて、いろいろと学びになっていたりします。
ということで、今日は本物は、見えないところにも力を入れている、と感じた出来事について、お話ししてみました。
今日はここまで~。